【概要】
千早城は大阪府千早赤阪村の金剛山中腹、標高およそ660メートルの尾根に築かれた中世の山城です。1332年(元弘2年)ごろ楠木正成が築き、翌年、千人に満たない兵で鎌倉幕府の大軍を相手に百日近く持ちこたえたと語り継がれています。石垣も天守も持たない土の城で、今は麓から500段を超える石段が続き、本丸跡には正成父子を祀る千早神社が鎮座しています。
【歴史】
千早城は1332年(元弘2年)ごろ、後醍醐天皇に応じて挙兵した楠木正成が、大阪府千早赤阪村にある金剛山の中腹に築いた山城です。翌1333年、鎌倉幕府は大軍を差し向けて城を包囲しましたが、正成は千人にも満たない兵で百日近く持ちこたえました。この籠城が幕府軍を長く釘付けにし、各地の反幕勢力の蜂起を促して鎌倉幕府滅亡の引き金になったと語り継がれています。正成の名を全国に知らしめた城です。
【特徴】
千早城の特徴は、険しい地形を防御力に変えた縄張りにあります。標高1125メートルの金剛山から北西へ延びる尾根の上、標高およそ660メートルの地点に築かれ、三方を深い谷に囲まれて背後だけが山へ続いていました。石垣も天守も持たない中世の山城で、四つの郭を尾根沿いに連ねた簡素な構えながら、大軍を寄せ付けない堅固さを誇りました。攻め手は補給に苦しみ、力攻めを断念せざるを得なかったと伝わります。
【見どころ】
見どころは、麓の登山口から続く500段を超える急な石段と、本丸跡に静かに鎮座する千早神社です。神社は楠木正成とその子正行を祀り、深い杉木立に包まれて厳かな雰囲気を漂わせています。四の丸跡からは眼下に集落と山並みが広がり、籠城戦の舞台となった地形を肌で感じられます。城跡は金剛山の登山道の途中にあたるため、参拝を済ませてそのまま山頂を目指す登山者も多く見られます。
【トリビア】
千早城跡は国の史跡に指定され、日本百名城の第55番に選ばれています。石垣を持たない土の城が名城に名を連ねるのは珍しいことです。『太平記』には、藁人形を並べて敵を誘い出す策や、大木や熱湯を落として寄せ手を退けた逸話が記されますが、これらは後世の脚色を含むとされます。周辺には下赤坂城跡や楠木正成の生誕地と伝わる場所など、正成にちなむ史跡が数多く点在し、あわせて巡る人も少なくありません。
