粟津晴嵐

(あわづのせいらん)
📍 滋賀県 大津市⛰️ 名所🎭 文化

【概要】

粟津晴嵐は、粟津原の東海道ぞいに続いた松並木が強い風にざわめく景色で、近江八景のひとつに数えられます。晴嵐とは晴れた日に吹く風のことで、枝葉が鳴る音までふくめた情景が題に選ばれました。往時の松並木はすでに失われ、いまは湖岸のなぎさ公園に植えられた若い松並木と、晴嵐という地名だけがその名残をとどめています。

【歴史】

粟津原は、膳所の城下町の南の端から鳥居川の集落まで続いた東海道ぞいの松並木で、旅人が湖を横に見ながら歩いた道でした。この一帯は寿永年間の合戦で木曽義仲が討たれた粟津の古戦場でもあります。近衛信尹が撰んだとされる近江八景では、瀟湘八景の山市晴嵐にあたる題として、滋賀県大津市にあるこの松並木の情景が選ばれました。

【特徴】

晴嵐という言葉は、晴れた日に強い風が吹いて松の枝葉がざわめくさまから生まれたものです。粟津晴嵐の絵では、湖岸に沿って伸びる松並木と、そのあいだを行く旅人や荷を負った馬、沖を走る帆船がひとつの画面に収められました。音と動きを景色として選んだ点が、静かな月や鐘の情景と並ぶこの題のおもしろさになっています。

【見どころ】

昭和のはじめには五百本ほどの松が残っていたと伝えられますが、道路の付け替えや周辺の開発によって数を減らし、いまでは数本を数えるほどになりました。大津市は枯れた松を伐採し、新たな植え替えは行わない方針を示しています。一方で湖岸のなぎさ公園には若い松並木の遊歩道が整えられ、往時の情景をしのぶ手がかりになっています。

【トリビア】

松並木は失われましたが、晴嵐という名は町名や小学校の名として今も使われ、この景色の記憶を伝えています。明治三十三年にあたる1900年に大和田建樹が作った『鉄道唱歌』の東海道編には、粟津の松にこととえば答えがおなる風の声という一節があり、車窓から松並木を眺めることができたころの姿が、そのまま歌い込まれています。

📅 最終更新: 2026/9/12
粟津晴嵐
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です