【概要】
赤穂緞通は、兵庫県赤穂市特産の手織り絨毯。江戸時代末期に考案され、上質な木綿糸のみを使用し、「摘み織り」という独自の技法で織られる。藍、茶、白を基調とした古風で雅な柄が多く、使い込むほどに風合いが増す。
【歴史】
赤穂緞通は、1823年に生まれた児島なかが独力で創始した敷物です。夫とともに訪れた高松で、中国渡りの敷物「万暦氈」の精巧さに心を打たれ、国産の木綿糸を使った再現に取り組みました。試行錯誤はおよそ20年に及び、1870年(明治3年)に一畳大の緞通を織り上げることに成功し、専用の織機も考案したと伝わります。その後は地元の産業として広まり、多くの織り手が育ちました。
【特徴】
赤穂緞通は、兵庫県赤穂市に受け継がれてきた、木綿だけで作られる手織りの敷物です。最大の特徴は、一丁の鋏で行う三種類の「摘み」にあります。文様の際を切り込む筋摘み、パイルを5ミリから7ミリの高さにそろえる地摘み、さらに輪郭を強調する仕上げ摘みを重ねることで、図柄が浮き彫りのように鮮明に立ち上がり、表面はなめらかな手ざわりに仕上がり、独特の陰影が生まれます。
【見どころ】
藍や茶、白を基調とした落ち着いた色調と、牡丹や菊、幾何学文を組み合わせた古風で雅やかな意匠が赤穂緞通の見どころです。木綿ゆえに素足で心地よく、使い込むほどに艶が増していきます。市内の研修工房では職人の手わざを見学でき、かつて皇后の御料車や枢密院の玉座に用いられたという格の高さもうかがえます。塩と赤穂浪士に並ぶ、この街のもう一つの顔と言えるでしょう。
【トリビア】
赤穂緞通は市の無形文化財に指定されている地場産業ですが、昭和期には織り手がほとんど絶え、「幻の緞通」と呼ばれた時期もありました。その後、市による後継者育成の事業が実を結び、技術は今日まで受け継がれています。創始者である児島なかの生誕200年にあたる年には記念の展示も催され、一人の女性の執念から生まれた工芸として、改めて広い注目を集めています。




