灘五郷は兵庫県の西宮市から神戸市の沿岸に連なる今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷という五つの酒造地帯の総称です。江戸時代には樽廻船で江戸へ送る「下り酒」で評判を高め、天保年間に櫻正宗の山邑太左衛門が見いだした宮水、六甲山系の急流を使う水車精米、六甲颪の寒気、丹波杜氏の技が重なって日本一の酒どころになりました。今も国内の清酒生産量の約四分の一を占めるとされます。
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A.灘五郷は兵庫県の西宮市から神戸市の沿岸に連なり、東から今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷の順に並びます。今津郷と西宮郷は西宮市、魚崎郷と御影郷は神戸市東灘区、西郷は神戸市灘区にあります。いちばん東の今津郷からいちばん西の西郷までは直線距離で約11kmです。
A.宮水は西宮で湧く仕込み水で、灘五郷の酒質を左右する水源です。天保年間に櫻正宗の山邑太左衛門が、西宮で造る酒だけが夏を越しても味が冴えることに気づいて見いだしました。リンやカリウムに富み鉄分が少ないため発酵が力強く進み、辛口で切れのよい灘の酒を生みます。
A.宮水、六甲山系の急流を使う水車精米、六甲颪の寒気、丹波杜氏の技が重なったためです。江戸時代には浜から樽廻船で江戸へ送る「下り酒」で評判を高めました。灘五郷は今も国内の清酒生産量の約四分の一を占めるとされます。
A.明治19年(1886年)に摂津灘酒造組合が設立されたときです。酒造業が衰退していた下灘郷が外れ、代わって西宮郷が加わったことで、今津郷・西宮郷・魚崎郷・御影郷・西郷という現在の顔ぶれが定まったとされます。魚崎郷・御影郷・西郷は、文政11年(1828年)に上灘郷が三つに分かれたときの東組・中組・西組がもとになっています。
A.多くの蔵や資料館が大きな被害を受け、再建された蔵と姿を消した蔵とに分かれました。御影郷の白鶴酒造資料館は1997年に再び開かれ、菊正宗酒造記念館は1999年に再建されています。西郷の沢の鶴資料館も全壊しましたが、免震の仕組みを取り入れて1999年に再建されました。