【概要】
安田財閥は、富山から江戸へ出た安田善次郎が一代で築いた金融中心の企業集団です。両替商から身を起こして銀行を興し、保険や信託を束ねて四大財閥の一角を占めましたが、鉱山や重工業をほとんど持たない点で他の三つと異なります。戦後の財閥解体で持株会社の安田保善社は解散しました。東京都墨田区の旧安田庭園は、善次郎の邸宅に付属した庭です。
【歴史】
安田善次郎は富山藩の下級武士の家に生まれ、江戸へ出て奉公したのち、一八六四年に日本橋で乾物と両替を兼ねる安田屋を開きました。一八六六年にはこれを両替専門の安田商店と改め、幕末の混乱期に通貨の売買で信用を積みます。一八八〇年には安田銀行を設立し、金融ひとすじに歩む安田財閥の土台を自らの手で作り上げました。
【特徴】
安田財閥の際立った性格は、事業のほとんどを金融で固めたことにあります。銀行を核に、生命保険や火災保険、信託を系列へ収め、各地の中小の銀行を合併して全国に網を広げました。一九二三年には安田系の十一行を一つにまとめた新しい安田銀行が生まれます。持株会社の安田保善社が同族の資産を管理し、鉱工業を抱えない身軽な構成を保ちました。
【見どころ】
東京都墨田区横網にある旧安田庭園は、元禄年間に大名の下屋敷として築かれ、隅田川の水を引き入れる潮入りの池を持つ庭でした。明治に入って安田善次郎の所有となり、その遺志によって一九二二年に東京市へ寄贈されます。関東大震災でほぼ旧態を失いましたが復旧され、一九二七年に市民の庭として開かれました。現在は墨田区が管理しています。
【トリビア】
安田善次郎は一九二一年、大磯の別邸で一人の男に刺し殺されました。寄付の申し出を断ったことが引き金とされ、財閥の当主が襲われた事件として世間を驚かせています。四大財閥のうち最初に自発的な解体案を示したのも安田で、安田保善社は一九四六年に解散しました。安田銀行の流れはのちに富士銀行となり、平成の合併を経て現在のみずほ銀行につながります。
