三菱財閥

(みつびしざいばつ)
📍 関東東京都 千代田区🏯 歴史🎭 文化

【概要】

三菱財閥は、土佐藩出身の岩崎弥太郎が明治の初めに海運業で興した企業集団です。九十九商会から三菱商会へと看板を掛け替えながら船を増やし、造船や鉱山、銀行へ事業を広げて三井と並ぶ勢力になりました。戦後の財閥解体で三菱本社は解散しています。東京都千代田区の丸の内には、三菱が最初に建てた洋風事務所建築を復元した三菱一号館が建っています。

歴史

三菱のはじまりは一八七〇年、土佐藩の大阪商会を引き継いだ九十九商会を岩崎弥太郎が率いたことにあります。藩から払い下げを受けた汽船で貨客を運び、一八七三年には三菱商会と改めて民間の海運会社として独り立ちしました。台湾出兵や西南戦争の軍事輸送を引き受けて船腹を一気に増やし、明治十年代には日本の海運を握る存在へ駆け上がっていきます。

特徴

弥太郎が一八八五年に世を去ると、弟の弥之助や甥の久弥が跡を継ぎ、海運以外へ軸足を広げました。長崎造船所の経営、炭鉱や金属鉱山の開発、為替と倉庫の事業が柱となり、一八九三年には三菱合資会社が同族の持株会社として置かれます。丸の内一帯の土地を政府から買い取ってオフィス街に育てたことも、三菱財閥の性格をよく表しています。

見どころ

東京都千代田区丸の内に建つ三菱一号館は、三菱が丸の内に最初に建てた洋風事務所建築です。英国人建築家ジョサイア・コンドルの設計で一八九四年に完成しましたが、老朽化のため一九六八年に取り壊されました。現在の建物は原設計や解体時の実測図をもとに同じ場所へ復元されたもので、二〇〇九年に竣工し、翌年から美術館として使われています。

トリビア

四大財閥のうち、三菱は解体にもっとも強く抵抗した財閥として知られます。それでも一九四六年に三菱本社は持株会社に指定され、同年九月末に解散して清算へ入りました。三菱商事や三菱重工業は細かく分割され、のちに再び集まっています。今日の三菱グループは戦後に結び直されたゆるやかな集まりで、戦前のような同族の持株会社を頂く形ではありません。

📅 最終更新: 2026/9/22
三菱財閥
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です