住友財閥

(すみともざいばつ)
📍 近畿大阪府 大阪市中央区🏯 歴史🎭 文化

【概要】

住友財閥は、京都で書物と薬を商った住友政友の店を源流とし、銅の精錬と鉱山経営で大きくなった企業集団です。一六九一年に開かれた伊予の別子銅山が長く屋台骨を支え、拠点を大阪へ移して金融や化学、金属へ手を広げました。戦後の財閥解体で住友本社は解散しています。大阪市中央区の北浜には、住友本社が入っていた重厚な住友ビルディングが残ります。

歴史

住友家の初代とされる住友政友は、京都で富士屋と号して書物と薬を扱う店を開きました。事業の土台になったのは、姉婿の蘇我理右衛門が泉屋の屋号で営んだ銅吹きです。理右衛門は粗銅から銀を分け取る南蛮吹きの技術を確立し、その子が住友家に入って両家が一つになりました。銅の精錬と貿易は、江戸時代の住友を支える本業となっていきます。

特徴

一六九一年に伊予の山中で別子銅山が開かれ、住友は幕府の許しを得てその経営にあたりました。掘り出した銅は大坂へ運ばれて精錬され、長崎から積み出されて国の主要な輸出品になります。別子は明治以降も近代化されて操業が続き、一九七三年の閉山までおよそ二百八十年にわたり掘られました。一つの鉱山を軸に据えた点が、住友財閥の際立った特徴です。

見どころ

大阪市中央区北浜に建つ住友ビルディングは、住友本社と傘下各社が本拠を置いた建物です。住友の営繕組織が設計し、一九二六年に第一期、一九三〇年に第二期が完成しました。土佐堀川に面した外観にはイオニア式の円柱が並び、竣工当時の姿をよく保っています。現在は三井住友銀行大阪本店ビルとして使われ、内部は営業中の銀行の店舗です。

トリビア

住友には「浮利を追わず」という言葉で知られる家訓が伝えられ、堅実な経営の指針とされてきました。その住友も一九四六年に本社が持株会社に指定され、保有する株式を手放して解散しています。屋号の泉屋は、住友家が集めた中国古代の青銅器などを収める泉屋博古館の名に残り、銅から始まった一族の来歴を今日まで伝えています。

📅 最終更新: 2026/9/22
住友財閥
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です