【概要】
静岡県三島市山中新田にあった城。永禄年間(1558年-1570年)、北条氏康が築城。豊臣秀吉の小田原攻めに備えるため天正年間に大改修が行われた広大な山城で、小田原城の支城として位置づけられる。日本100名城(40番)の一つ。自然の地形を利用した堅固な城であったが、天正18年(1590)秀吉、秀次軍による総攻撃の前にわずか1日で落城。北条氏滅亡と共に廃城となる。 。この城郭は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。その堅固な守りと戦略的な立地は、当時の武将たちの知恵と力を今の世に伝えています。訪れる人々は、石垣や堀、復元された建物を通じて、かつての時代の息吹を肌で感じることができるでしょう。
【歴史】
山中城は永禄年間(1558年〜1570年)、小田原防衛の西の要として北条氏康が箱根の尾根上に築いた山城です。豊臣秀吉との対決が避けられなくなると天正17年から大規模な改修が始まり、岱崎出丸の増築が進められました。しかし完成を待たずに天正18年(1590年)三月、豊臣秀次らの大軍が押し寄せ、圧倒的な兵力差の前にわずか半日で落城し、北条氏の滅亡とともに廃城となりました。
【特徴】
山中城の名を城好きの間に広く知らしめたのは、堀の底に土の畝を格子状に残した障子堀と畝堀です。関東ローム層は雨に濡れると滑りやすく、堀へ落ちた敵は畝に阻まれて身動きが取れなくなる巧妙な仕掛けでした。石垣をいっさい用いず土だけで築かれた後北条氏の築城術の到達点とされ、発掘の成果をもとに芝が張られて整備された現在の姿は、幾何学的な格子模様のように整然として美しいものです。
【見どころ】
見学の中心は西の丸から西櫓にかけての障子堀で、木橋の上から見下ろすと畝の連なりが一望でき、この城を代表する景観として写真にも数多く残されています。本丸跡や戦死した将兵の墓が残る三ノ丸跡、未完成のまま残された岱崎出丸の一ノ堀も歩くことができます。静岡県三島市にある城跡は標高五百八十メートルほどの高所にあり、西の丸の物見台から望む富士山と駿河湾の眺めもまた格別です。
【トリビア】
城内を箱根旧街道が貫いており、街道そのものを城の一部として取り込んだ縄張りは、東海道を押さえるという山中城の役割を何よりも端的に示しています。城跡は昭和9年(1934年)に国の史跡へ指定され、日本百名城の四十番にも選ばれました。入場は無料で通年開放されており、国道沿いの売店で名物の寒ざらし団子を味わうのも、堀の見学とあわせてこの城を訪ねる楽しみのひとつとなっています。




