宇佐美定満

(うさみさだみつ)
📍 中部新潟県 柏崎市🏯 歴史

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【概要】

越後の刈羽郡にあった琵琶島城を本拠とし、若き長尾景虎、のちの上杉謙信を支えた古参の重臣です。宇佐美氏はもともと越後守護の上杉家に仕えた家柄で、守護代の長尾為景と争った時期もありました。1564年に信濃の野尻湖で長尾政景とともに溺死したと伝わります。江戸時代の軍学が描いた名軍師の宇佐美定行とは混同されやすく、史実の定満とは分けて考える必要があります。

【歴史】

越後には守護の上杉家と守護代の長尾家が並び立っており、定満の宇佐美家は守護に仕える側の家柄で、刈羽郡の琵琶島城を拠点にしました。守護代の長尾為景が国の実権を握ると、これに反発して争った時期があったと伝わります。のちに長尾家に従い、景虎の家督相続のころにはこれを支える側に回りました。1564年、坂戸城主の長尾政景とともに野尻湖で舟遊びをしていたところ、湖に落ちて亡くなったとされます。

【特徴】

宇佐美定満の名は、江戸時代に紀州藩で越後流の軍学を唱えた宇佐美定祐によって大きく広まりました。定祐は先祖として宇佐美駿河守定行という名軍師を描き、その姿が小説やドラマに登場する謙信の軍師像のもとになっています。ただし定行の事績には後世の創作が多く含まれるとされ、確かな史料から分かる定満は、琵琶島城主として柏崎の海辺を押さえた古参の重臣という姿です。

【見どころ】

新潟県柏崎市にある琵琶島城の跡は、鵜川の河口に近い市街地の一角にあたります。城の遺構はほとんど残っておらず、跡地を示す標柱などが往時をしのばせる程度ですが、すぐ先には日本海が広がり、港に近い交通の要所に城が置かれたことを実感できます。柏崎は北国街道の宿場町としても栄えた土地で、海辺の町歩きとあわせて訪ねると、定満の本拠の位置づけがよく分かります。

【トリビア】

野尻湖での溺死については、謙信の意を受けた定満が政景を道連れにしたという話が江戸時代から語られてきましたが、確かな裏付けはなく伝承の域を出ません。政景は上杉景勝の実の父で、景勝はこののち謙信の養子となって春日山城に迎えられました。定満の死は、のちの上杉家の跡継ぎの行方にも関わる出来事として、いまも多くの歴史好きの関心を集めています。

📅 最終更新: 2026/11/6
宇佐美定満
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です