【概要】
上杉軍の先鋒として真っ先に敵陣へ切り込んだ猛将で、越後の柿崎、いまの上越市柿崎区を本拠としました。木崎山の柿崎城と猿毛城を拠点とし、1561年の第四次川中島の戦いでは先陣を務めたと伝わります。武勇だけでなく奉行として政務にも携わりました。菩提寺の楞厳寺には墓があり、寺の山門は柿崎城の搦手門を移したものと伝わります。
【歴史】
柿崎氏は越後の頸城郡柿崎を本拠とした国人の一族です。景家は長尾景虎、のちの上杉謙信が家督を継いだころから重臣として仕え、木崎山の柿崎城と猿毛城を拠点に越後の西部を押さえました。永禄年間には奉行の一人として政務にも名を連ね、合戦と内政の両面で謙信を支えています。没年や死因には異説があり、病死とする見方と、謙信に誅殺されたとする後世の伝承とが伝わっています。
【特徴】
柿崎景家の持ち味は、戦場で真っ先に敵陣へ切り込む勇猛さでした。1561年の第四次川中島の戦いでは上杉軍の先鋒を務め、武田方の陣へ激しく攻めかかったと伝わります。謙信は景家について、思慮深さが加われば越後で並ぶ者はいないと評したといわれます。その言葉は、頼もしい猛将としての評判と、血気にはやる危うさの両方を物語るものとして語り継がれてきました。
【見どころ】
新潟県上越市にある楞厳寺は柿崎氏の菩提寺で、境内に景家の墓が残ります。寺の山門は柿崎城の搦手門を移築したものと伝わり、戦国の城門の面影を今に伝えています。柿崎城が築かれた木崎山は標高二十五メートルほどの小高い丘で、目立った遺構はほとんど残っていませんが、日本海に近い柿崎の町を歩くと、かつての城下の広がりを思い描くことができます。
【トリビア】
柿崎は海沿いを通る北国街道の宿場としても栄え、越後の西部を行き来する人々の要所でした。景家の最期をめぐっては、織田信長に馬を売ったことから内通を疑われたという話が江戸時代の軍記などに見えますが、確かな史料による裏付けはありません。景家の跡は子の晴家が継ぎましたが、謙信の没後に起きた御館の乱のさなかに命を落としたとされます。
