甘粕景持

(あまかすかげもち)
📍 中部長野県 千曲市🏯 歴史

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【概要】

1561年の第四次川中島の戦いで、上杉軍の殿軍を務めて名を上げた武将です。千曲川の雨宮の渡し付近に残り、妻女山から迫る武田方の別働隊を食い止め、高坂昌信や馬場信房の軍勢と渡り合ったと伝わります。甘糟とも書き、越後十七将や越後二天にも数えられます。謙信の没後も上杉家に仕え、1604年に没したとされます。同じ甘粕姓の甘粕景継とは別の人物です。

【歴史】

越後の上杉家に仕えた甘粕家に生まれた景持は、謙信のもとで各地の戦いに加わりました。その名を高めたのは、1561年の第四次川中島の戦いでした。妻女山を夜のうちに下りた上杉軍が千曲川を渡って八幡原へ向かう際、景持は渡し場に残り、武田方の別働隊が背後から迫るのを食い止める役を担いました。謙信の没後も上杉家に仕え続け、1604年に世を去ったとされます。

【特徴】

甘粕景持は、退き戦の巧みさで語り継がれる武将です。雨宮の渡しで武田方の高坂昌信や馬場信房らの軍勢と渡り合いながら、隊を崩さずに退いたと伝わり、その采配の見事さに武田方が謙信自身が殿にいると見誤ったという逸話も残ります。殿は味方の撤退を守るために最後まで敵の前に踏みとどまる役目で、主君から厚い信頼を寄せられていたことがうかがえます。

【見どころ】

長野県千曲市にある雨宮の渡しの跡は、千曲川のほとりに設けられた公園になっています。江戸時代の頼山陽が詠んだ「鞭声粛々夜河を過る」の一節は、上杉軍の夜の渡河を描いたものとされ、ここにはその詩を刻んだ碑が立っています。堤に立つと、川の向こうに川中島の平野が広がり、合戦の舞台となった妻女山や八幡原との位置関係を目で確かめることができます。

【トリビア】

甘粕景持は上杉四天王のほか、越後十七将や越後二天、越後三元老にも数えられ、複数の名数に名を連ねる家臣です。上杉家には景勝の重臣として白石城を任された甘粕景継もいますが、こちらは登坂氏の出身で甘粕の名跡を継いだ人物とされ、景持とは別人です。二人の事績はしばしば混同されるため、軍記や解説を読み比べる際には、名前の後半まで確かめると安心です。

📅 最終更新: 2026/11/6
甘粕景持
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です