高杉晋作

(たかすぎしんさく)
📍 中国山口県 下関市🏯 歴史

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【概要】

高杉晋作は、天保10年(1839年)に萩藩士の長男として萩城下に生まれ、松下村塾四天王の一人に数えられる長州藩の志士です。身分を問わない奇兵隊を結成し、功山寺での挙兵によって藩論を倒幕へと導きました。慶応3年(1867年)に病で世を去り、遺言により奇兵隊ゆかりの山口県下関市吉田に葬られました。墓所のそばには、晋作を弔う東行庵が建っています。

【歴史】

高杉晋作は名門の藩士の家の跡取りで、父の反対を気にかけながら松下村塾へ通い、吉田松陰から才を認められました。文久2年(1862年)には幕府の使節に従って上海へ渡り、欧米の勢力に圧される清の姿を見て危機感を強めます。翌年には下関で奇兵隊を創設し、元治元年(1864年)の暮れには功山寺で挙兵して、藩の実権を握る保守派を退けました。

【特徴】

高杉晋作の号の東行は、西行法師を慕い、東の江戸にある幕府を討つ志を込めたものともいわれます。奇兵隊は武士だけでなく農民や町人からも志願者を募った部隊で、身分にとらわれない軍の先駆けとなりました。慶応2年(1866年)の四境戦争では海軍を率いて小倉口で幕府軍と戦いましたが、その後に結核が悪化し、翌年に数え年二十九歳で亡くなりました。

【見どころ】

東行庵は山口県下関市にある庵で、晋作の愛妾だったおうのが、晋作の没後に尼となって梅処と名乗り、墓を守りながら暮らした場所です。いまの建物は明治17年(1884年)に、山県有朋や伊藤博文、井上馨らの寄付で建てられました。清水山のふもとの境内は梅や花菖蒲、紅葉の名所として知られ、隣には晋作と奇兵隊の資料を伝える記念館もあります。

【トリビア】

高杉晋作の辞世として知られる「おもしろきこともなき世をおもしろく」の上の句には、看病にあたった野村望東尼が下の句を付けたと伝えられます。墓が生まれ故郷の萩ではなく吉田にあるのは、奇兵隊の陣屋が置かれたこの地に葬るよう晋作自身が遺言したためです。墓碑には東行墓と刻まれ、萩の誕生地と並んで晋作をしのぶ人が訪れる場所になっています。

📅 最終更新: 2026/11/8
高杉晋作
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です