久坂玄瑞

(くさかげんずい)
📍 中国山口県 萩市🏯 歴史

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【概要】

久坂玄瑞は、天保11年(1840年)に萩藩医の久坂良迪の家に生まれた長州藩の志士で、松下村塾四天王の一人です。吉田松陰に才を見込まれて妹の文を妻に迎え、尊王攘夷運動の先頭に立ちました。元治元年(1864年)の禁門の変で傷を負い、京都の鷹司邸で自刃しています。生まれ育った屋敷の跡は誕生地として山口県萩市にあり、城下町の平安古地区で訪ねられます。

【歴史】

久坂玄瑞は少年期に母と兄、父を相次いで亡くし、十代半ばで家督を継ぎました。九州を旅した際に熊本の宮部鼎蔵から吉田松陰に学ぶよう勧められ、松陰と手紙で激しく議論を交わしたのちに松下村塾へ入りました。松陰が刑死したあとは門下生の中心となって尊王攘夷を唱え、文久3年(1863年)の下関での攘夷戦や京都での政治工作に奔走しました。

【特徴】

松陰は久坂玄瑞を防長年少第一流の人物と称え、門下で一歳年上の高杉晋作と競わせて互いを高めさせました。二人は「識の高杉、才の久坂」と並び称され、松下村塾の双璧と呼ばれています。藩医の家に育った久坂は詩文と弁舌に優れ、背が高く声のよく通る人物だったと伝えられます。松陰の妹の文と結ばれたことで、師とは義理の兄弟の間柄にもなりました。

【見どころ】

誕生地は萩城下の平安古地区にあり、旧宅の跡には玄瑞の遺詠と、公卿の三条実美が詠んだ追悼の和歌を刻んだ石碑が立っています。周辺は土塀や武家屋敷の門が残る伝統的建造物群保存地区で、城下町らしい静かな町並みを歩いて訪ねられます。近くの萩市中央公園には久坂玄瑞の像も建てられており、誕生地とあわせて巡ることができます。

【トリビア】

禁門の変で久坂玄瑞は、朝廷への嘆願を果たそうと鷹司邸に入りましたが願いはかなわず、同じ松下村塾に学んだ寺島忠三郎とともに自刃しました。数え年で二十五歳でした。妻の文はのちに美和と名を改め、姉の夫であった楫取素彦と再婚しています。2015年の大河ドラマ「花燃ゆ」では、この文が主人公として描かれ、久坂の生涯にも光が当たりました。

📅 最終更新: 2026/11/8
久坂玄瑞
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です