【概要】
入江九一は、天保8年(1837年)に萩藩の足軽の家に生まれた長州藩の志士で、松下村塾四天王の一人です。通称を杉蔵といい、塾に学んだのは短い期間でしたが、吉田松陰から才知と忠義の厚さを高く評価されました。元治元年(1864年)の禁門の変で参謀として戦い、深手を負って自決しています。明治政府で内務大臣を務めた野村靖は実の弟にあたります。
【歴史】
入江九一は足軽の入江嘉伝次の子として生まれ、家計を支えながら学問に励みました。江戸から一時帰郷した折に松下村塾で学んだのは一か月ほどでしたが、安政の大獄のさなかに松陰が獄につながれると、師の策に最後まで寄り添いました。藩主の駕籠を伏見で迎えて京都へ導く伏見要駕策に加わろうとして捕らえられ、弟とともに獄中生活を送っています。
【特徴】
入江九一は文久3年(1863年)に足軽から士分に取り立てられ、同じ年に高杉晋作が奇兵隊を創設すると、その立ち上げに力を尽くしました。四天王のなかでは最も年長で、塾で机を並べた日々よりも、獄中の松陰と交わした手紙によって師弟の絆を深めた点に特色があります。松陰から入江に宛てた手紙は数多く残り、師の信頼の厚さを今に伝えています。
【見どころ】
入江九一と弟の野村靖が生まれ育った家の跡は山口県萩市にあり、入江九一・野村靖誕生地として史跡になっています。萩の城下町の東寄りにある土原の町なかに位置し、松陰神社や伊藤博文旧宅のある松本川の対岸へも歩いて渡れる距離です。維新を見ずに散った兄と、明治の政府を担った弟という二人の対照を思いながら訪ねられます。
【トリビア】
弟の野村靖は兄の遺志を継ぐように明治政府に仕え、内務大臣や逓信大臣を歴任しました。明治40年(1907年)には伊藤博文とともに、松下村塾の後方に師を祀る松陰神社の社殿を建てています。入江九一自身は禁門の変で鷹司邸の周辺で戦って深手を負い、数え年二十八歳で自ら命を絶ちました。兄弟の歩みは、維新の光と影を映すものとして語られます。
