平将門(将門塚)

(たいらのまさかど)
📍 東京都 千代田区🏯 歴史🎭 文化🏮 その他

【概要】

平安時代中期、関東で「新皇」を名乗り朝廷に反乱を起こしましたが(承平・天慶の乱)、討ち取られました。京都で晒された首が、故郷を慕って東国へ飛び去り、力尽きて落ちた場所が現在の将門塚(東京都千代田区)と伝えられています。日本最強の怨霊の一人とされ、粗末に扱うと必ず祟りがあると言われています。

【歴史】

平将門は、平安時代に天皇の血筋を引きながら、実力で関東を制圧し、自ら新しい天皇「新皇」を称しました。これは日本史上類を見ない朝廷への反逆行為であり、わずか2ヶ月で平貞盛らに討ち取られました。死後、その怨念は凄まじく、京都で晒されていた首が夜な夜な目を見開き「身体はどこだ、首をつないでもう一戦しよう」と叫び、ついに東の空へ飛び去ったという伝説が残っています。

【特徴】

大手町の高層ビル群の谷間に、緑に囲まれた石碑「将門塚」が鎮座しています。かつてGHQがこの場所を整地しようとした際に不審な事故が相次いだり、周辺のオフィスビル建設時にも関係者が次々と急死したりしたため、「将門の祟り」として畏怖されました。現在でも、塚に対してお尻を向けて座らない、工事の際は必ずお祓いをするなど、ビジネス街の人及から特別な敬意と恐れを持って扱われています。

【見どころ】

近代的なオフィス街の中で、そこだけ異空間のように静寂で神聖な空気が流れています。神田明神(東京都千代田区)には御祭神として祀られており、勝負事や厄除けの神様として絶大な人気を誇ります。毎年5月に行われる神田祭は、将門の霊を慰めるために始まったとも言われ、江戸三大祭りの一つとして賑わいます。祟り神から守護神へと転じた、日本人の霊魂観を象徴する存在です。

【トリビア】

将門の首が京から飛んできた際、それを迎え撃って射落としたとされる神社がいくつか存在します(御首神社など)。また、将門の体はバラバラになって各地に落ちたとされ、胴体は茨城県坂東市の延命院に葬られています。現在も将門を信仰する地域では、将門を射た成田山新勝寺への参拝を避けたり、キュウリ(断面が将門の家紋に似ているため)を食べないといった禁忌が残っています。

📅 最終更新: 2026/2/18
平将門(将門塚)
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です

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