【概要】
保元の乱に敗れて讃岐に流され、深い怨念から日本を滅ぼす大魔王(天狗)になったとされる怨霊です。
【歴史】
崇徳上皇(すとくじょうこう)は、平安時代末期の第75代天皇であり、後に「日本最大最強の怨霊」と恐れられることになる悲劇の人物です。保元の乱(1156年)で後白河天皇の勢力に敗れた崇徳上皇は、讃岐国(現在の香川県)へと流罪になりました。彼は仏教に深く帰依し、戦死者の供養と自身の反省のために膨大な写経を行って朝廷に献上しようとしましたが、「呪いが込められているのではないか」と疑われ突き返されてしまいます。この仕打ちに絶望した上皇は、自らの舌を噛み切ってその血で「日本国の大魔王となる」と呪いの言葉を記し、凄まじい怨念を抱いたまま崩御しました。
【特徴】
死後、彼の怨念は凄まじい怨霊となって京都に次々と大災害と災厄をもたらしました。朝廷の要人が次々と不審死を遂げ、京の都は大火や飢饉に度々見舞われることになります。伝説によれば、彼の姿は人間から恐ろしい巨大な「天狗(または大天狗の頭領)」へと変貌し、日本国を滅ぼすために暗躍したと語り継がれています。(※日本三大悪妖怪としては大嶽丸が数えられることも多いですが、天狗や怨霊の頂点として崇徳上皇を含む伝承も根強く存在します。)
【見どころ】
その強大な怨念を恐れた明治天皇は、彼を慰霊するために京都の地に「白峯神宮(しらみねじんぐう)」を創建しました。現在では、怨霊としての恐ろしい顔よりも、スポーツの実力向上や武道上達、さらに悪縁を断ち切る神様として多くの参拝客から信仰を集めています。境内にある「蹴鞠の碑」など、蹴鞠の宗家であった飛鳥井家の跡地であることに由来する独自の歴史を感じさせる美しい神社の景観が広がっています。
【トリビア】
崇徳上皇の怨霊がどれほど恐れられていたかを示すエピソードとして、幕末の動乱期においてすら、朝廷は彼を鎮魂することを最重要視していました。慶応4年(1868年),戊辰戦争に向かう新政府軍に対して、明治天皇は自ら白峯神宮に使いを送り、崇徳上皇の御霊に対して「これから始まる戦の勝利をお守りください」と直接祈願を行わせたほど、国家的な畏れと敬意の対象であり続けたのです。




