島津斉彬

(しまづなりあきら)
📍 九州鹿児島県 鹿児島市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

島津斉彬は、薩摩藩の11代藩主として藩の近代化を率いた大名です。1851年に藩主となると、鹿児島の磯に反射炉や溶鉱炉、ガラス工場などを集めた集成館を築き、洋式の船づくりにも挑みました。西郷隆盛を見いだしたことでも知られます。将軍継嗣問題では一橋慶喜を推しましたが、1858年に急死し、1867年の四侯会議には異母弟の島津久光が臨みました。

【歴史】

島津斉彬は1809年(文化6年)、薩摩藩主島津斉興の長男として江戸の藩邸に生まれました。蘭学を好む開明的な姿勢を危ぶむ声もあって家督相続は遅れ、異母弟の久光を推す一派との争いを経て、1851年(嘉永4年)にようやく11代藩主となります。将軍継嗣問題では一橋慶喜を推して奔走しましたが、1858年(安政5年)7月、鹿児島で兵の調練を見たあとに病に倒れ、そのまま世を去りました。

【特徴】

斉彬は欧米の脅威に備えるには国を富ませ、兵を強くするほかないと考え、鹿児島の磯に工場群を築きました。のちに集成館と名づけられたこの事業では、反射炉や溶鉱炉で鉄を造って大砲を鋳造し、ガラスなどの生産も手がけています。洋式帆船や蒸気船の建造にも挑み、日本の船の目印として日の丸を用いるよう幕府に進言したとも伝えられます。工場の多くは1863年の薩英戦争で焼かれ、のちに再建されました。

【見どころ】

鹿児島県鹿児島市にある仙巌園は、1658年に島津光久が築いた島津家の別邸で、桜島を築山に、錦江湾を池に見立てた雄大な庭が広がります。園内には斉彬が築いた反射炉の跡が残り、隣には斉彬の死後の1865年に完成した旧集成館機械工場が尚古集成館として公開されています。これらは2015年に、明治日本の産業革命遺産の構成資産として世界文化遺産に登録されました。

【トリビア】

斉彬は島津家一門の娘を養女とし、篤姫として13代将軍徳川家定に嫁がせました。この縁組には、慶喜を次の将軍に推すための布石という狙いもあったと言われます。下級藩士だった西郷隆盛を取り立て、江戸で諸藩との連絡役を任せたのも斉彬でした。急死ののち斉彬は照國大明神の神号を贈られ、鹿児島の中心部にある照国神社に祀られて、いまも多くの参拝者を迎えています。

📅 最終更新: 2026/10/8
島津斉彬
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です