松平春嶽

(まつだいらしゅんがく)
📍 中部福井県 福井市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

松平春嶽は、御三卿の田安家に生まれ、11歳で越前福井藩の16代藩主となった大名です。名は慶永といい、春嶽は号にあたります。身分にとらわれず橋本左内や由利公正らを登用し、熊本藩から横井小楠を招いて藩政を立て直しました。将軍継嗣問題では一橋慶喜を推して隠居に追い込まれますが、のちに政事総裁職として幕政改革を担い、四侯会議にも加わりました。

【歴史】

松平春嶽は1828年(文政11年)、御三卿の田安家の子として江戸に生まれ、1838年(天保9年)に越前福井藩を継ぎました。将軍継嗣問題では一橋慶喜を推し、1858年(安政5年)には日米修好通商条約の無勅許調印に抗議して江戸城へ登ったことを不時登城の罪に問われ、大老井伊直弼から隠居と謹慎を命じられます。1862年(文久2年)に勅命で政事総裁職に就き、幕政の表舞台へ戻りました。

【特徴】

春嶽の藩政は、身分を問わない人材の登用に特色がありました。中根雪江や由利公正、橋本左内を重く用い、1855年(安政2年)には藩校の明道館を開いて人材を育てます。1858年には熊本藩から横井小楠を賓師として迎え、財政の立て直しを進めました。政事総裁職に就いてからは将軍後見職の一橋慶喜と文久の改革にあたり、参勤交代を三年に一度へ緩め、大名の妻子が国元へ帰ることも認めています。

【見どころ】

福井県福井市にある福井城址は、春嶽が藩主を務めた越前松平家の居城の跡です。本丸の石垣と堀が残り、西側には藩主だけが渡ったという屋根付きの御廊下橋が、明治初期の古写真をもとに復元されています。橋を渡った先の山里口御門も2018年に復元されました。城址のすぐそばには春嶽を祭神の一柱とする佐佳枝廼社が鎮座し、北へ歩けば春嶽が名づけた養浩館庭園があります。

【トリビア】

養浩館庭園は福井藩主松平家の別邸で、江戸時代には御泉水屋敷と呼ばれていました。1884年(明治17年)にいまの名を授けたのが春嶽で、孟子の「浩然の気を養う」に由来すると伝わります。建物は1945年の空襲で焼けましたが、江戸時代の絵図をもとに1993年に復元されました。また春嶽は、元号の「明治」を決める際に候補を絞り込む役を担ったとも伝えられています。

📅 最終更新: 2026/10/8
松平春嶽
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です