島津家久

(しまづいえひさ)
📍 九州宮崎県 宮崎市🏯 歴史

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【概要】

戦の駆け引きに最もすぐれたといわれる島津家久は、四兄弟の末弟で、ほかの三人とは母が異なります。天正12年(1584年)の沖田畷の戦いでは少ない兵で龍造寺隆信の大軍を破り、天正14年(1586年)の戸次川の戦いでは豊臣方の先発隊を打ち破りました。日向の佐土原城を本拠としましたが、秀吉の九州平定で降伏した直後の天正15年(1587年)に急死しています。

【歴史】

伊東氏が日向から退いたのち、島津家久は天正7年(1579年)に佐土原城に入り、日向を治める拠点としました。沖田畷の戦いでは島原半島に渡って龍造寺隆信を討ち取り、豊後に攻め込んだ戸次川の戦いでは、長宗我部信親や十河存保らを討ち取る大勝を収めています。しかし翌年、豊臣秀長が率いる大軍の前に降伏し、その後まもなく佐土原で亡くなりました。

【特徴】

家久は、少数の兵を伏せて敵を誘い込み、左右から包み込む釣り野伏せという島津軍お得意の戦法を、大きな合戦で鮮やかに使いこなした武将として知られます。天正3年(1575年)には京へ上り、伊勢参りや名所めぐりの道中を日記に書き残しており、戦国武将の旅の様子や当時の街道のにぎわいを伝える貴重な史料となっています。

【見どころ】

宮崎県宮崎市にある佐土原城跡は、一ツ瀬川の南の丘陵に築かれた山城で、2004年に国の史跡に指定され、2017年には続日本100名城にも選ばれました。山上には本丸や南ノ城、松尾丸といった曲輪の跡が残ります。山麓の二の丸跡には、御殿風の建物で島津家ゆかりの品々を展示する佐土原歴史資料館の鶴松館が建っています。

【トリビア】

家久の子の豊久は、関ヶ原の戦いで伯父の義弘を逃がすために戦い、命を落としました。江戸時代の佐土原城は島津氏の分家が治める佐土原藩の居城となり、明治3年(1870年)まで使われました。なお、義弘の子の忠恒ものちに家久と名乗ったため、薩摩藩の初代藩主と四兄弟の末弟が同じ名前になり、取り違えられやすい人物として知られます。

📅 最終更新: 2026/11/8
島津家久
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です