【概要】
榊原康政は1548年に三河で生まれ、少年のころ家康の小姓となって「康」の一字を与えられた重臣です。武勇に加えて学問や書にも通じ、小牧・長久手の戦いでは羽柴秀吉を痛烈に非難する檄文を書いたと伝わります。1590年に上野館林十万石を与えられて館林城と城下を整え、関ヶ原の戦いでは徳川秀忠の軍に従いました。1606年に館林で世を去っています。
【歴史】
榊原康政は1548年に三河国上野で生まれ、十代で家康の小姓として仕え始めました。三河一向一揆で初陣を果たし、家康から「康」の一字を与えられたとされます。その後は姉川、三方ヶ原、長篠など主な合戦の多くに加わって功を重ねました。1590年の関東移封で上野館林十万石を与えられ、1600年の関ヶ原の戦いでは徳川秀忠の軍に属し、1606年に五十九歳で館林において没しました。
【特徴】
榊原康政は武勇だけでなく学問や書にも通じた武将として知られます。1584年の小牧・長久手の戦いでは、主家の織田家をないがしろにする羽柴秀吉を激しく非難する檄文を書き、怒った秀吉が康政の首に十万石の賞金を懸けたと伝わります。1586年には、秀吉の妹の朝日姫が家康に嫁ぐ際に道中の警護を務め、同じ年に従五位下式部大輔に叙任されました。
【見どころ】
榊原康政が整えた館林城の跡は、群馬県館林市にある城沼の西側に広がっています。東の城沼を天然の堀とした城で、いまは一帯に市役所や文化会館などが建ち、三の丸の土橋門が復元され、土塁の一部も残っています。城沼の南岸にあるつつじが岡公園は、ツツジの古木がつくる景観が1934年に「躑躅ヶ岡」の名で国の名勝に指定された場所で、春には色とりどりの花が水辺を彩ります。
【トリビア】
館林城は尾曳城とも呼ばれ、キツネが尾を引いて城の縄張りを示したという築城の伝説が残ります。関ヶ原の戦いでは、中山道を進んだ秀忠の軍が信濃の上田城で足止めされて本戦に間に合わず、家康の怒りを買いました。このとき家康に取りなしたのが康政で、秀忠はその恩に深く感謝したと伝わります。館林市楠町の善導寺には、群馬県の史跡に指定された康政の墓があります。
