井伊直政

(いいなおまさ)
📍 関東群馬県 高崎市🏯 歴史⛰️ 名所

【概要】

井伊直政は1561年に遠江の井伊谷で生まれ、十五歳で家康に見いだされた徳川四天王の最年少です。武田家の旧臣を率いた赤備えの部隊で知られ、1590年には上野箕輪十二万石を与えられて徳川家臣のなかで最大の所領を得ました。関ヶ原の戦いで先陣を切り、戦後は近江の佐和山へ移りましたが、1602年に世を去り、新しい城を築く構想は子の代に彦根城として実を結びました。

【歴史】

井伊直政は1561年、遠江の井伊谷を治めた井伊家に生まれましたが、翌年に父の直親が今川氏から内通を疑われて殺され、一族の井伊直虎らに支えられて育ちました。1575年、浜松で鷹狩りをしていた家康に見いだされて小姓となります。1590年の関東移封で上野箕輪十二万石を与えられ、1598年に高崎城へ移りました。関ヶ原の戦いののち近江の佐和山十八万石に移り、1602年に四十二歳で没しています。

【特徴】

井伊直政の部隊は、甲冑から旗指物までを赤一色でそろえた赤備えとして知られます。武田家の滅亡後に配下となった旧臣たちが、武田の名将山県昌景の赤備えを受け継いだもので、小牧・長久手の戦いなどで先頭に立つ直政は「井伊の赤鬼」と恐れられたと伝わります。交渉にも長け、関ヶ原の戦いの前後には諸大名を東軍に引き込む工作や、戦後の和睦の取りまとめにも力を尽くしました。

【見どころ】

井伊直政が十二万石の城主として入った箕輪城の跡は、群馬県高崎市にある国の史跡です。直政の改修によって、中世の土の城は石垣を一部に用いた近世の城へと姿を変えました。城の中央を南北に貫く大堀切は幅約三十メートル、深さ約九メートルに達し、2016年には発掘の成果をもとに郭馬出西虎口門が木造で復元されています。広い城域を歩くと、西上野を押さえた拠点の大きさを体感できます。

【トリビア】

井伊直政は1598年、箕輪から南東の和田へ居城を移し、この地を高崎と改めたとされます。命名には諸説あり、「松ヶ崎」とする案に対して僧の白庵が「成功高大」にちなむ高崎を勧めたという話がよく知られています。関ヶ原の戦いでは退く島津勢を追う最中に鉄砲傷を負い、その傷が癒えきらないまま佐和山で世を去ったとされます。直政が計画した新城は、子の代に場所を彦根山へ移して築かれ、国宝の彦根城となりました。

📅 最終更新: 2026/10/8
井伊直政
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です