岡田以蔵

(おかだいぞう)
📍 四国高知県 高知市🏯 歴史

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【概要】

岡田以蔵は、天保9年(1838年)に土佐国香美郡の岩村、いまの南国市で郷士の家に生まれたとされる土佐藩の志士です。武市半平太に剣を学んで土佐勤王党に加わり、京都で「人斬り以蔵」と恐れられました。のちに一家で高知城下へ移ったとされ、慶応元年(1865年)に高知で処刑されました。墓は高知市の薊野にあると伝わります。

【歴史】

郷士の家の長男として生まれた岡田以蔵は、同じ土佐の武市半平太の道場で剣を学び、武市に従って江戸に出て鏡心明智流の桃井春蔵の道場でも腕を磨きました。武市が結成した土佐勤王党に加わり、文久2年(1862年)ごろから京都で武市の指示による暗殺に関わったとされます。八月十八日の政変で尊王攘夷派が退くと勤王党は弾圧され、以蔵も京都で捕らえられて土佐へ送られました。

【特徴】

以蔵の名は「天誅」と結びつけて語られますが、どの事件にどこまで関わったのかは、のちの取り調べでの供述などに頼る部分が多く、はっきりしない点も残ります。土佐での厳しい取り調べのすえ、慶応元年(1865年)閏5月に斬首されました。同じ日に師の武市半平太も切腹を命じられています。数えで28歳という短い生涯で、辞世の歌は「君が為 尽くす心は 水の泡」で始まると伝わります。

【見どころ】

高知県高知市にある薊野の真宗寺山には岡田家の墓所があり、以蔵もここに眠るとされます。高知の市街地の北東にある小高い山で、木立に囲まれた静かな斜面に墓所が設けられています。生まれた岩村は東隣の南国市にあたり、香長平野の田園が広がる土地です。高知城や城下に残る武市半平太ゆかりの地とあわせて巡ると、土佐勤王党の志士たちの足跡をたどることができます。

【トリビア】

以蔵は坂本龍馬の頼みで勝海舟の護衛を務めたことがあり、勝を襲った刺客を斬り捨てたという逸話が、勝自身の回想に残っています。勝が人を殺すのはよくないとたしなめると、以蔵は自分がいなければ先生の首は飛んでいたと言い返したと伝わります。昭和の作家司馬遼太郎の短編『人斬り以蔵』や、勝新太郎が演じた映画『人斬り』によって、その名は広く知られるようになりました。

📅 最終更新: 2026/11/3
岡田以蔵
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です