幕末の四大人斬りは、尊王攘夷の嵐が吹き荒れた幕末の京都で「人斬り」の異名をとった、肥後の河上彦斎、薩摩の中村半次郎と田中新兵衛、土佐の岡田以蔵の四人を指す呼び名です。当時の称号ではなく後世に広まった通称で、四人の関わった事件の多くは史料が乏しく、伝承が入り混じっています。本人の関与がはっきりしているのは一部にとどまり、そのイメージは昭和の小説や映画によって形づくられた面も大きいとされます。
A.肥後の河上彦斎、薩摩の中村半次郎と田中新兵衛、土佐の岡田以蔵で、三つの藩の出身者からなります。四人とも、尊王攘夷の嵐が吹き荒れた幕末の京都で「人斬り」の異名をとりました。生まれや墓所などのゆかりの地は、いまの熊本県・鹿児島県・高知県にあたります。
A.当時の称号ではなく、後世に広まった通称です。四人のイメージは昭和の小説や映画によって形づくられた面も大きいとされ、池波正太郎の小説『人斬り半次郎』や司馬遼太郎の短編『人斬り以蔵』などで、その名が広く知られるようになりました。
A.河上彦斎の佐久間象山の一件と、中村半次郎の赤松小三郎の一件は、本人によるものとはっきりしているとされます。田中新兵衛は姉小路公知が襲われた事件の取り調べ中に自刃したため真相は分からず、岡田以蔵も供述などに頼る部分が多く、はっきりしない点が残ります。四人の関わった事件の多くは史料が乏しいとされます。
A.田中新兵衛と岡田以蔵の二人です。昭和44年(1969年)に公開された五社英雄監督の映画『人斬り』では、作家の三島由紀夫が田中新兵衛を、勝新太郎が岡田以蔵を演じました。新兵衛は史料が少ないぶん、こうした小説や映画によって人物像が形づくられてきた面が大きいと言えます。
A.記事で紹介するゆかりの地は熊本県・鹿児島県・高知県にあり、直線距離で最も離れているのは鹿児島市の田中新兵衛と高知市の岡田以蔵の約360kmです。中村半次郎と田中新兵衛はどちらも鹿児島市で、約5kmしか離れていません。熊本市の河上彦斎からは、鹿児島市まで約130〜140km、高知市まで約280kmです。