河上彦斎

(かわかみげんさい)
📍 九州熊本県 熊本市🏯 歴史

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【概要】

河上彦斎は、天保5年(1834年)に熊本城下の新町で生まれた肥後熊本藩士です。国学者の林桜園に学んで尊王攘夷の志を深め、元治元年(1864年)に京都で開国論者の佐久間象山を斬ったことで「人斬り彦斎」と呼ばれました。明治に入っても攘夷の考えを曲げず、新政府に反抗する動きに関わった疑いで捕らえられ、明治4年の暮れに東京で処刑されました。

【歴史】

熊本藩士の小森家に生まれた河上彦斎は、河上家の養子となり、若くして城中で雑務を担う坊主として藩に仕えました。宮部鼎蔵らの肥後勤王党に加わり、京都で尊王攘夷の運動に身を投じます。元治元年(1864年)の池田屋事件で宮部が命を落とすと、その直後に京都で佐久間象山を斬りました。のちには長州藩と行動を共にし、明治の初めには熊本藩の飛び地だった鶴崎で兵の育成を任されています。

【特徴】

河上彦斎本人による暗殺がはっきりしているのは佐久間象山の一件で、それ以外の関与については確かな記録が乏しいとされます。剣は独自に工夫したもので、右足を深く踏み出し、低い姿勢から片手で斬りつける型を得意としたと伝わります。明治になると開国へ進む新政府を厳しく批判し、反政府の動きに関わった疑いで捕らえられて、明治4年12月(1872年1月)に東京で斬首されました。

【見どころ】

彦斎が生まれた新町は、熊本城の西側、坪井川を挟んだ城下町の一角で、加藤清正の時代から町人と武家の暮らしが交わってきた古い町です。いまも路面電車が走る通りの周辺には、古い町家や寺が点在し、城下町の面影を感じながら歩けます。坪井川の岸辺からは、熊本城の高い石垣を見上げることができ、彦斎が仕えた藩の居城と生まれ育った町の近さが実感できます。

【トリビア】

彦斎は小柄で色白、女性と見まがうほど穏やかな顔立ちだったと伝えられます。象山を斬ったときは髪が逆立つほどの恐ろしさを覚え、以後は人を斬るのをやめたという話も残りますが、確かな裏付けはありません。和歌や国学に通じた教養人でもありました。漫画『るろうに剣心』の主人公、緋村剣心のモデルの一人とされたことで、平成以降に改めて名が知られるようになりました。

📅 最終更新: 2026/11/3
河上彦斎
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です