【概要】
新田金山城は群馬県太田市の金山の頂に築かれた連郭式の山城で、関東七名城のひとつに数えられます。1469年に新田一族の岩松家純が築き、のちに由良氏が城主となって上杉謙信や武田勝頼の攻撃にも落城せず、1590年の小田原征伐で接収されて廃城となりました。発掘調査で石垣の多用が判明しており、復元整備された大手虎口の石垣や、石組みの日ノ池・月ノ池を見ることができます。
【歴史】
文明元年(1469年)、新田一族の岩松家純が金山に築いたのが新田金山城の始まりです。16世紀前半には家臣の横瀬氏が実権を握り、永禄8年(1565年)に横瀬成繁が由良と改姓して城主となりました。上杉謙信や武田勝頼の攻撃を受けながらも落城せず、天正18年(1590年)の小田原征伐で前田利家らに接収されて廃城となりました。
【特徴】
群馬県太田市にある連郭式の山城で、標高235.8メートルの金山の頂に築かれ、別名を金山城、太田金山城といいます。関東七名城のひとつに数えられ、尾根筋に曲輪を連ねた城域は東西に長く延びています。石垣や石敷きを多用していたことが発掘調査で判明し、関東の戦国期山城に本格的な石垣はないという定説を覆しました。
【見どころ】
復元整備された大手虎口は、通路の両側に石垣が幾重にも積み上がる圧巻の空間で、新田金山城を代表する景観となっています。山頂近くには直径十数メートルの日ノ池と、その手前の月ノ池という石組みの池が二つあり、儀式の場だったと考えられます。本丸跡とされる地点には新田神社が鎮座しています。尾根道を歩けば関東平野を一望する眺望が開け、山城の立地の妙が実感できます。
【トリビア】
新田金山城は上杉謙信や武田勝頼といった有力大名の攻撃を再三受けながら、ついに力攻めで落ちることがなかったため「落城知らずの城」とも呼ばれます。山上に大きな池を二つ備える城は全国的にも珍しく、日ノ池は戦勝祈願や雨乞いの儀式に用いられたのではないかとみられています。山頂までは車道が通じています。駐車場から本丸まで無理なく歩ける点も、人気を集める理由のひとつです。
