【概要】
二本松城は福島県二本松市の白旗ヶ峰に築かれた梯郭式の平山城で、別名を霞ヶ城といいます。1414年に畠山満泰が居城を移したのが始まりと伝わり、1643年からは丹羽氏の居城として幕末まで続きました。戊辰戦争では二本松少年隊の悲劇の舞台となっています。城跡は国の史跡で霞ヶ城公園として整備され、1982年に再建された箕輪門や、平成期に修復された本丸の石垣を見られます。
【歴史】
室町時代中期、奥州探題を命じられた畠山満泰が応永21年(1414年)にこの地へ居城を移したのが二本松城の始まりと伝わります。以後畠山氏が140年余りにわたって拠点としましたが、天正14年(1586年)に伊達政宗の南奥制覇の攻勢を受けて開城しました。江戸時代には寛永20年(1643年)に丹羽光重が入り、幕末まで二本松藩丹羽氏10万700石の居城となりました。
【特徴】
福島県二本松市の白旗ヶ峰に築かれた梯郭式の平山城で、麓の居館部と山頂の本丸を結ぶ高低差の大きな縄張りが特徴です。別名を霞ヶ城、白旗城といいます。丹羽氏の時代に本丸へ石垣が積まれ、天守に相当する三重の櫓も建てられました。城跡は平成19年(2007年)に国の史跡に指定され、現在は県立霞ヶ城公園として整備されています。
【見どころ】
入口に建つ箕輪門は昭和57年(1982年)に再建された二本松城の象徴で、両脇の枡形石垣と老松が城の風格を伝えています。山頂の本丸石垣は平成期に修復され、安達太良山や市街地を一望できます。園内には樹齢およそ300年、東西約14メートルに枝を広げる市指定天然記念物の傘マツや、藩主の茶室を移した洗心亭も残っています。
【トリビア】
慶応4年(1868年)の戊辰戦争では、12歳から17歳の少年たちで編成された二本松少年隊が出陣し、7月29日の落城とともに多くが命を落とした悲劇で知られます。一方で秋には日本三大菊人形のひとつにも数えられる「二本松の菊人形」が霞ヶ城公園で開かれ、約3万株の菊が城跡を華やかに彩ります。箕輪門の脇に立つ少年隊の群像は、悲劇の記憶を伝える二本松城の象徴となっています。
