増鏡

(ますかがみ)
📍 近畿京都府 京都市右京区🎭 文化

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【概要】

増鏡は、南北朝時代に成立したとされる歴史物語で、後鳥羽天皇が生まれた1180年から、後醍醐天皇が隠岐から京都へ戻った1333年までのおよそ150年を描きます。嵯峨の清凉寺に詣でた作者が、百歳を超えるという老尼から昔語りを聞くという形をとり、源氏物語を思わせる優美な文章で知られます。地図には、語りの舞台となった清凉寺を置いています。

【歴史】

増鏡の作者は、南北朝時代の公卿で連歌の大成者としても知られる二条良基とする説が有力ですが、確証はなく、洞院公賢などの名も挙げられてきました。成立は1368年から1376年ごろとする見方があります。本文には17巻の古本系と、19巻や20巻に増補された本があり、四鏡のなかでは最後に書かれた作品として、鏡物の流れを締めくくっています。

【特徴】

増鏡は年代順に出来事を追う編年体で、各巻におどろのした、新島守、月草の花といった雅やかな題が付けられています。公家の視点から朝廷の儀式や歌会、宮廷の人々の哀歓を描き、源氏物語の文体を意識した擬古文で綴られています。承久の乱や両統迭立、元弘の変といった激しい政治の動きも、貴族の目を通した情趣豊かな筆致で語られている点が特色です。

【作品背景】

清凉寺は、京都府京都市右京区にある浄土宗の寺で、嵯峨釈迦堂の名で親しまれています。源融の山荘だった棲霞観に始まる寺地に、宋から帰国した僧奝然が持ち帰った釈迦如来立像を本尊として祀り、生身の釈迦として篤い信仰を集めてきました。増鏡が、作者が嵯峨の釈迦堂で老尼に出会う場面から始まるのは、大鏡の雲林院の趣向にならったものとされています。

【トリビア】

増鏡の新島守の巻には、承久の乱に敗れて隠岐に流された後鳥羽院の、我こそは新島守よ隠岐の海の荒き波風心して吹けという歌が収められています。物語の結びでは、同じく隠岐に流された後醍醐天皇が島を抜け出して都へ帰ります。二人の帝の隠岐への配流が物語の前半と終わりで響き合う構成は、増鏡を読むうえでの楽しみの一つになっています。

📅 最終更新: 2026/11/8
増鏡
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です