四鏡

四鏡

四鏡は、平安時代の後期から南北朝時代にかけて書かれた四つの歴史物語、大鏡・今鏡・水鏡・増鏡をまとめた呼び名で、鏡物とも呼ばれます。いずれも長い年月を生きたとされる人物が見聞きした昔を語り、それを書き留めるという形をとり、扱う時代を順につなぐと、神武天皇から後醍醐天皇の京都への帰還までをたどれます。地図には、それぞれの語りの舞台やゆかりの寺を置いています。

日本名数>四鏡
大鏡
🎭 文化
📍 京都府 京都市北区

大鏡

(おおかがみ)

大鏡は、平安時代後期に成立したとされる歴史物語で、四鏡のなかで最初に書かれました。文徳天皇が即位した850年から後一条天皇の1025年までのおよそ176年を、帝や大臣の伝記を並べる紀伝体で描き、藤原道長の栄華に至る道筋をたどります。京都の紫野にあった雲林院の菩提講で、大宅世継と夏山繁樹という二人の老翁が語り合うという趣向で知られます。

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増鏡
🎭 文化
📍 京都府 京都市右京区

増鏡

(ますかがみ)

増鏡は、南北朝時代に成立したとされる歴史物語で、後鳥羽天皇が生まれた1180年から、後醍醐天皇が隠岐から京都へ戻った1333年までのおよそ150年を描きます。嵯峨の清凉寺に詣でた作者が、百歳を超えるという老尼から昔語りを聞くという形をとり、源氏物語を思わせる優美な文章で知られます。地図には、語りの舞台となった清凉寺を置いています。

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今鏡
🎭 文化
📍 奈良県 桜井市

今鏡

(いまかがみ)

今鏡は、平安時代末期の1170年ごろに成立したとされる歴史物語で、大鏡のあとを受けて1025年から1170年までのおよそ146年を描きます。語り手は大宅世継の孫で、かつて紫式部に仕えてあやめと呼ばれた150歳を超える老女です。長谷寺へ参詣する人々が道中でこの老女に出会い、昔語りを聞くという形をとるため、奈良県桜井市にある長谷寺をゆかりの地としています。

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水鏡
🎭 文化
📍 奈良県 明日香村

水鏡

(みずかがみ)

水鏡は、鎌倉時代の初めごろに成立したとされる歴史物語で、神武天皇から仁明天皇までの、大鏡より前の時代を年代順にたどります。73歳の老女が厄年の祈りのため大和の龍蓋寺に詣で、続いて長谷寺に籠もった折に、葛城山で仙人から昔の話を聞いたという修行者に出会うという趣向です。地図には、老女が最初に詣でた龍蓋寺、現在の岡寺を置いています。

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❓ 四鏡のよくある質問

Q.四鏡はどんな順番で書かれたのですか?

A.成立の順に並べると大鏡・今鏡・水鏡・増鏡となり、頭の字を取った大根水増しという語呂合わせが受験生に親しまれています。大鏡は平安時代後期、今鏡は平安時代末期、水鏡は鎌倉時代の初めごろ、増鏡は南北朝時代に成立したとされます。一方、扱う時代の順では水鏡が最も古くなります。

Q.四鏡はそれぞれどの時代を描いているのですか?

A.四つの扱う時代を順につなぐと、神武天皇から後醍醐天皇の京都への帰還までをたどれます。水鏡は神武天皇から仁明天皇まで、大鏡は850年から1025年まで、今鏡はそのあとを受けて1170年まで、増鏡は1180年から1333年までを描いています。

Q.四鏡の作者はわかっているのですか?

A.大鏡は作者がわかっておらず、ほかの三作品も有力な説があるにとどまります。今鏡は藤原為経、水鏡は中山忠親、増鏡は二条良基とする説がそれぞれ有力です。大鏡は藤原能信や源顕房、源俊明などが候補に挙げられ、水鏡には源雅頼とする説、増鏡には洞院公賢などの名もあります。

Q.四鏡の語り手はどんな人物ですか?

A.いずれも長生きの老人が昔を語り、聞き手が書き留める形をとります。大鏡は大宅世継と夏山繁樹という二人の老翁、今鏡は大宅世継の孫で紫式部に仕えたあやめという老女、増鏡は百歳を超えるという老尼が語ります。水鏡は、仙人から昔の話を聞いた修行者の話を73歳の老女が書き留める形です。

Q.四鏡の地図に示された場所はどこですか?

A.作品が書かれた場所ではなく、語りの舞台やゆかりの寺を示しています。大鏡は京都市北区紫野の雲林院、増鏡は京都市右京区の清凉寺、今鏡は奈良県桜井市の長谷寺、水鏡は明日香村の岡寺(龍蓋寺)です。直線距離で雲林院と清凉寺は約7km、長谷寺と岡寺は約10km、京都と奈良の地点のあいだは約60km離れています。

📍 所在地マップ

愛知県岐阜県京都府三重県滋賀県大阪府徳島県福井県和歌山県1423大鏡今鏡水鏡増鏡50 km地図データ: Natural Earth
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