四鏡は、平安時代の後期から南北朝時代にかけて書かれた四つの歴史物語、大鏡・今鏡・水鏡・増鏡をまとめた呼び名で、鏡物とも呼ばれます。いずれも長い年月を生きたとされる人物が見聞きした昔を語り、それを書き留めるという形をとり、扱う時代を順につなぐと、神武天皇から後醍醐天皇の京都への帰還までをたどれます。地図には、それぞれの語りの舞台やゆかりの寺を置いています。
A.成立の順に並べると大鏡・今鏡・水鏡・増鏡となり、頭の字を取った大根水増しという語呂合わせが受験生に親しまれています。大鏡は平安時代後期、今鏡は平安時代末期、水鏡は鎌倉時代の初めごろ、増鏡は南北朝時代に成立したとされます。一方、扱う時代の順では水鏡が最も古くなります。
A.四つの扱う時代を順につなぐと、神武天皇から後醍醐天皇の京都への帰還までをたどれます。水鏡は神武天皇から仁明天皇まで、大鏡は850年から1025年まで、今鏡はそのあとを受けて1170年まで、増鏡は1180年から1333年までを描いています。
A.大鏡は作者がわかっておらず、ほかの三作品も有力な説があるにとどまります。今鏡は藤原為経、水鏡は中山忠親、増鏡は二条良基とする説がそれぞれ有力です。大鏡は藤原能信や源顕房、源俊明などが候補に挙げられ、水鏡には源雅頼とする説、増鏡には洞院公賢などの名もあります。
A.いずれも長生きの老人が昔を語り、聞き手が書き留める形をとります。大鏡は大宅世継と夏山繁樹という二人の老翁、今鏡は大宅世継の孫で紫式部に仕えたあやめという老女、増鏡は百歳を超えるという老尼が語ります。水鏡は、仙人から昔の話を聞いた修行者の話を73歳の老女が書き留める形です。
A.作品が書かれた場所ではなく、語りの舞台やゆかりの寺を示しています。大鏡は京都市北区紫野の雲林院、増鏡は京都市右京区の清凉寺、今鏡は奈良県桜井市の長谷寺、水鏡は明日香村の岡寺(龍蓋寺)です。直線距離で雲林院と清凉寺は約7km、長谷寺と岡寺は約10km、京都と奈良の地点のあいだは約60km離れています。