名護屋城

(なごやじょう)
📍 佐賀県 唐津市📦 その他📦

【概要】

佐賀県唐津市にあった城。1591年、豊臣秀吉が築城。豊臣秀吉の朝鮮出兵(文禄・慶長の役)に際して出兵拠点として築かれた城。秀吉の死後、大陸進攻は中止され城は廃城となった。日本100名城(87番)の一つ。周囲には130以上に上る諸大名の陣屋が構築され、全国から20万人を超える人々が集ったといわれる。この城郭は、日本の歴史において重要な役割を果たしてきました。その堅固な守りと戦略的な立地は、当時の武将たちの知恵と力を今の世に伝えています。訪れる人々は、石垣や堀、復元された建物を通じて、かつての時代の息吹を肌で感じることができるでしょう。

【歴史】

1591年(天正19年)、豊臣秀吉は朝鮮出兵の前線基地として、大陸に最も近い佐賀県唐津市にある波戸岬の丘陵に名護屋城を築かせました。九州の諸大名を動員した突貫工事により、わずか数か月で主要部が姿を現し、翌年からの文禄・慶長の役ではここが日本軍の総司令部となりました。1598年の秀吉の死によって出兵は中止され、城もまもなく役目を終えて廃されています。

【特徴】

名護屋城の城域は約17万平方メートルに及び、当時の城郭では大坂城に次ぐ広壮な規模であったといわれます。金箔瓦を用いた五層の天守が建てられたと伝わり、本丸や二の丸、三の丸などを高石垣で囲み込む本格的な近世城郭でした。廃城後には石垣の要所を意図的に崩す破却を受けましたが、その痕跡もまた、この城が背負った激動の歴史を今に伝える貴重な遺構となっています。

【見どころ】

天守台跡に立つと玄界灘の彼方に壱岐や対馬まで望むことができ、秀吉が眺めたであろう景色を追体験できます。城跡を中心とする半径三キロほどの範囲には、全国から集った諸大名の陣跡が130以上も確認されており、徳川家康や伊達政宗らゆかりの陣跡をめぐる散策も楽しめます。城跡に隣接する佐賀県立名護屋城博物館では、出土品や復元模型を通じて当時の全体像を知ることができます。

【トリビア】

名護屋城跡と周辺の陣跡は「名護屋城跡並びに陣跡」として国の特別史跡に指定され、日本百名城では第87番に選ばれています。城が機能していた当時、周辺には全国から20万人を超える人々が集まったとされ、一時は京や大坂に次ぐほどのにぎわいを見せたと伝わります。城跡には眺めの良い茶苑が設けられており、秀吉がこの地でたびたび茶会を催した往時をしのぶことができます。

📅 最終更新: 2026/9/7
名護屋城
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です