【概要】
府内城は大分県大分市にある梯郭式の平城で、堀に海水を引き入れた水城です。1597年(慶長2年)に福原直高が大分川の河口に築き始め、竹中重利が工事を引き継いで1602年に整えました。四重の天守は1743年の大火で焼失して再建されず、今は江戸後期に再建された宗門櫓と人質櫓、木造で復元された廊下橋、石垣だけが残る天守台を見ることができます。
【歴史】
豊後を治めた大友氏が豊臣秀吉によって改易された後、1597年(慶長2年)に石田三成の妹婿である福原直高が大分川の河口に新たな城を築き始めました。荷役場を意味する「荷落」という地名は縁起が悪いとして「荷揚」と改めたと伝わり、府内城は荷揚城の別名でも呼ばれます。直高の改易後、豊後高田から入った竹中重利が工事を引き継ぎ、1602年(慶長7年)に本丸から三の丸までを整えました。
【特徴】
大分県大分市にある梯郭式の平城で、瀬戸内海に近い低湿地を巧みに生かし、堀に海水を引き入れた水城として築かれました。海へ開いた縄張りは、船をそのまま城際まで寄せられる港湾都市の城でもありました。かつては四重の天守がそびえていましたが、1743年(寛保3年)の大火で焼失し、以後ついに再建されていません。竹中氏の後は日根野氏、次いで松平氏が二百年余りも城主を務めています。
【見どころ】
現存する宗門櫓と人質櫓はいずれも江戸後期の再建で、県の指定文化財として江戸時代の意匠と技を今に伝えています。本丸と山里丸を結んで堀に架かる廊下橋は古絵図に基づいて木造で復元され、屋根に覆われた渡り廊下を歩く感覚を味わえます。石垣だけが残る天守台には階段で上ることができ、周囲は大分城址公園として整備されて、桜の季節には堀端が淡い花色に彩られます。
【トリビア】
日本百名城の第94番に数えられ、堀や石垣を含む城跡は県の史跡に指定されています。明治以降は城内に県庁などの官庁が置かれ、第二次世界大戦の空襲では多くの建物を失いました。戦後に大手門や隅櫓が鉄筋コンクリートで再建され、現在見られる姿へと整えられています。夜になると櫓や石垣、堀に架かる廊下橋がライトアップされ、市街の中心にありながら静かで幻想的な景観をつくり出します。
