第四高等学校

(だいよんこうとうがっこう)
📍 中部石川県 金沢市🏯 歴史🎭 文化

【概要】

第四高等学校は、明治20年(1887年)に金沢へ置かれた官立の高等学校で、加賀藩の藩校明倫堂に連なる石川県専門学校を母体とします。石川県金沢市の広坂に建つ赤煉瓦の本館は明治24年(1891年)の完成で、国の重要文化財に指定され、いまは石川四高記念文化交流館として公開されています。戦後は新制金沢大学へ受け継がれました。

歴史

明治20年(1887年)4月、石川県専門学校を母体として第四高等中学校が金沢に置かれ、明治27年(1894年)に第四高等学校となりました。校地は加賀騒動で知られる大槻伝蔵の屋敷跡で、生徒はここを「仙石原頭」と呼んでいます。昭和25年(1950年)3月に閉校するまで約一万二千人を送り出し、新制金沢大学の法文学部と理学部の母体となりました。

特徴

校風は「超然時習」「至誠自治」の言葉に表され、飾らず粘り強い気質が尊ばれました。明治26年(1893年)に開かれた寄宿舎の時習寮では、消灯後にろうそくを灯して机に向かう「蝋勉」が名物となり、寮歌も数多く生まれています。大正4年(1915年)に作られた「北の都」は代表作として、いまも同窓の集いで歌い継がれています。

見どころ

石川県金沢市広坂に建つ石川四高記念文化交流館は、明治24年(1891年)に完成した旧第四高等中学校本館そのものです。昭和44年(1969年)に国の重要文化財となり、館内は四高の歩みを伝える石川四高記念館と、県ゆかりの文学者を紹介する石川近代文学館の二つで構成されています。赤煉瓦の外観は兼六園周辺の散策路でもひときわ目を引きます。

トリビア

四高には哲学者の西田幾多郎や仏教学者の鈴木大拙が学び、西田はのちに母校へ戻って教壇にも立ちました。作家の井上靖は四高の柔道部で汗を流した日々を、後年に小説『北の海』へ書き残しています。台湾の烏山頭ダムを築いた技師の八田與一もこの学び舎で青春を過ごした一人で、卒業生の足跡は遠く海を越えて広がっています。

📅 最終更新: 2026/9/22
第四高等学校
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です