【概要】
第七高等学校造士館は、明治34年(1901年)に鹿児島へ置かれた官立の高等学校で、略称は七高です。薩摩藩の藩校造士館の名を受け継ぎ、鶴丸城の跡地に校舎を構えました。寮歌「北辰斜にさすところ」で知られ、戦後は新制鹿児島大学に受け継がれています。跡地の鹿児島市城山町には、いまも七高生久遠の像が立っています。
【歴史】
造士館は安永2年(1773年)に島津重豪が開いた薩摩藩の藩校で、その名は明治34年(1901年)に創立された第七高等学校造士館へ受け継がれました。校舎は島津氏七十七万石の居城であった鶴丸城の跡地に建てられ、九州南部における学問の拠点となります。昭和24年(1949年)に新制鹿児島大学へ包括され、翌年に長い歴史を閉じました。
【特徴】
ナンバースクールのなかでは七番目の創立で、南九州はもちろん全国から生徒が集まり、寄宿舎や下宿で三年間を過ごしました。創立の早い時期から中国からの留学生を受け入れていたことも特色です。寮歌「北辰斜にさすところ」は南の空に低く見える北極星を詠んだもので、鹿児島に立つ学校ならではの一節として広く知られています。
【見どころ】
鹿児島県鹿児島市城山町の旧校地には、昭和58年(1983年)に開館した鹿児島県歴史資料センター黎明館と、昭和55年(1980年)に開いた県立図書館が建っています。校舎そのものは残っていませんが、敷地内には「七高生久遠の像」と寮歌「北辰斜にさすところ」の碑が置かれ、黎明館には七高を紹介するコーナーも設けられています。
【トリビア】
外務大臣として終戦時の内閣に加わった東郷茂徳は、この鹿児島の学び舎から世界へ出ていきました。青色発光ダイオードの開発により平成26年(2014年)にノーベル物理学賞を受けた赤崎勇も七高の出身です。跡地には鶴丸城の石垣と堀がいまも往時のまま残り、藩校から旧制高校へと続いた学問の場の記憶を静かに伝えています。
