第二高等学校

(だいにこうとうがっこう)
📍 東北宮城県 仙台市青葉区🏯 歴史🎭 文化

【概要】

第二高等学校は、明治20年(1887年)に第二高等中学校として仙台に置かれた官立の高等学校で、略称は二高です。宮城県仙台市青葉区の片平丁に校舎を構え、寄宿舎の明善寮を中心に東北の学生文化を育てました。戦後は東北大学に包括され、いまも片平キャンパスには移設された旧正門と第二高等学校記念苑が残されています。

歴史

明治20年(1887年)、中学校令にもとづく五校のナンバースクールの一つとして仙台に第二高等中学校が置かれ、明治27年(1894年)に第二高等学校と改まりました。片平丁の校地は東北帝国大学法文学部の用地として提供され、大正14年(1925年)に北六番丁へ移転します。昭和20年(1945年)の仙台空襲で校舎を失ったのち三神峯へ移り、昭和25年(1950年)に廃止されました。

特徴

寄宿舎の明善寮を中心に、六如寮や道交寮といった寮が置かれ、質実で粘り強い学風が育ちました。旧制高校では寮歌が主役になりがちでしたが、二高では校歌がよく歌われたと伝えられます。作詞したのが同校の大先輩にあたる詩人の土井晩翠だったためといわれ、「荒城の月」を書いた人物が母校に残した縁として、いまも語り継がれています。

見どころ

宮城県仙台市青葉区片平にある東北大学片平キャンパスには、平成8年(1996年)に第二高等学校記念苑が整えられ、移築された旧制第二高等学校正門が立っています。この門は国の登録有形文化財で、赤煉瓦の門柱が創立期の面影を伝えます。近くには旧第二高等学校書庫を転用した文化財収蔵庫も残されており、あわせて歩くことができます。

トリビア

記念苑には、昭和7年(1932年)に教授の粟野健次郎の退職を記念して建てられた粟野観音像が置かれています。北六番丁の校地から移されたのち、令和4年(2022年)に片平の記念苑へ落ち着きました。卒業生にはトヨタ自動車を興した豊田喜一郎や、経団連会長を務めた稲山嘉寛がおり、東北の学び舎から産業界へ人を送り出しています。

📅 最終更新: 2026/9/22
第二高等学校
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です