足尾銅山

(あしおどうざん)
📍 関東栃木県 日光市🏯 歴史

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【概要】

栃木県日光市に位置し、かつて「日本一の鉱都」と呼ばれた巨大な銅山です。1550年に発見されて以来、江戸幕府の直轄領として栄え、明治20年代には日本の銅産出量の40%以上を占めるまでに成長しました。現在は坑道の一部が観光施設として公開されており、山間部に残る広大な産業遺産を巡ることができます。

【歴史】

1550年に農民によって発見され、江戸時代には幕府直轄の銅山として日光東照宮や江戸の貨幣(寛永通宝)の鋳造に大きく貢献しました。明治以降は古河市兵衛による経営の近代化で飛躍的に発展しましたが、同時に深刻な「足尾銅山鉱毒事件」を引き起こし、日本の公害の原点となった歴史も持ち合わせています。明治20年代には国内の銅産出量の4割以上を占めましたが、鉱量の枯渇により1973年2月に閉山しました。

【特徴】

総延長1,234キロメートルにも及ぶという、想像を絶する長さの坑道が最大の特徴です。この壮大な地下迷宮のごく一部が現在「足尾銅山観光」として一般公開されており、トロッコ列車で坑道の150メートル奥まで入り、そこから約300メートルを歩きながら、江戸から昭和までの採掘作業を再現した人形のジオラマで当時の過酷な現場を体感することができます。

【見どころ】

見学可能な坑道だけでなく、足尾の町全体に点在する廃墟群こそが最大の見どころです。ツタに覆われた巨大なレンガ造りの製錬所跡や、かつての社宅群の跡、そして鉱毒によってはげ山となった後、市民の植樹活動により緑を取り戻しつつある山々の風景は、栄枯盛衰のドラマを静かに物語っています。渡良瀬川に架かる古河橋は1890年にドイツから輸入された鋼鉄のトラス橋で、2014年に国の重要文化財に指定されました。

【トリビア】

足尾銅山で起きた鉱毒問題に対して、衆議院議員の田中正造が明治天皇に直訴を行った事件は日本史の教科書にも載るほど有名ですが、その直訴状を起草したのは、ジャーナリストで社会主義者の幸徳秋水だったと言われています。日本の環境保護運動の出発点でもある重要な場所であり、江戸時代の足尾で鋳造された寛永通宝は、裏に「足」の字が入っていることから足字銭と呼ばれました。

📅 最終更新: 2026/9/26
足尾銅山
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です