日本三大銅山とは、栃木県の足尾銅山、愛媛県の別子銅山、茨城県の日立鉱山の3つを指します。銅は江戸時代から日本の重要な輸出品で、これらの銅山は明治から昭和にかけて日本の近代化と経済成長を根底から支えました。莫大な富を生む一方で深刻な煙害や鉱毒の歴史も刻み、いずれも閉山した現在は、自然に還りつつある産業遺産として独特の景観を見せています。
A.足尾銅山は鉱量の枯渇により1973年2月に、別子銅山も同じ1973年(昭和48年)に閉山しました。日立鉱山は日本鉱業の中核鉱山として操業を続け、1981年に採掘を終えて閉山しています。三つとも現在は操業しておらず、跡地に産業遺産が残っています。
A.別子銅山は住友家が1973年の閉山まで283年間経営し、そこから生まれた富が住友グループの礎を築きました。日立鉱山では自社での機械修理・製造から「日立製作所」が生まれています。足尾銅山は明治以降、古河市兵衛による経営の近代化で飛躍的に発展しました。
A.別子銅山では住友の二代目総理事・伊庭貞剛が、精錬所を無人島の四阪島へ移し、はげ山に毎年100万本以上の植林を行いました。日立鉱山では1915年に高さ155.7メートルの大煙突を建て、気象観測によるデータ分析やオオシマザクラなど煙に強い植物の植林も並行して進めました。
A.明治以降の発展と同時に、深刻な「足尾銅山鉱毒事件」を引き起こしたためです。この鉱毒問題をめぐっては衆議院議員の田中正造が明治天皇に直訴を行い、日本の環境保護運動の出発点ともされています。はげ山となった山々は、市民の植樹活動により緑を取り戻しつつあります。
A.足尾銅山は栃木県、日立鉱山は茨城県、別子銅山は愛媛県にあります。直線距離で足尾銅山と日立鉱山は約100kmと比較的近い一方、足尾銅山と別子銅山は約630km、別子銅山と日立鉱山は約730km離れています。