【概要】
赤松氏は、播磨国の佐用荘赤松村を本拠とし、村上源氏の流れを称した武家です。赤松則村、のちの円心が鎌倉幕府を倒す戦いで名を上げ、足利尊氏に従って播磨の守護となりました。1441年には赤松満祐が将軍の足利義教を討つ嘉吉の乱を起こし、一族は一度滅びますが、のちに家を再興しています。兵庫県上郡町にある白旗城跡は、円心が築いた赤松氏の山城です。
【歴史】
赤松氏が歴史の表舞台に立ったのは、赤松円心が元弘の乱で後醍醐天皇方として挙兵し、京都の六波羅探題を攻めたときです。建武の新政で恩賞に恵まれなかった円心は足利尊氏の側につき、1336年には白旗城に籠もって新田義貞の大軍を五十日余りにわたり食い止めました。この働きで播磨の守護に任じられ、室町時代には備前や美作も治めて侍所の所司を出す家となりました。
【特徴】
赤松氏の名を最も強く刻んだのは、1441年の嘉吉の乱です。所領を削られることを恐れた赤松満祐は、京都の屋敷で催した猿楽の宴に六代将軍の足利義教を招き、その場で討ち取りました。満祐は播磨へ下って城山城に籠もりましたが、山名持豊らの討伐軍に攻められて同じ年の九月に自害し、赤松の惣領家は一度滅びました。将軍が家臣に殺された例は室町時代でも異例のことです。
【見どころ】
兵庫県上郡町にある白旗城跡は、標高およそ440メートルの白旗山の尾根に曲輪が連なる山城の跡です。城跡へは北側の赤松口と南側の野桑口から登山道が通じ、山頂からは千種川の谷と播磨の山並みを見渡せます。白旗城跡は、のちの赤松氏が本拠とした置塩城跡などとともに赤松氏城跡として国の史跡に指定されており、あわせて巡ると一族の移り変わりがたどれます。
【トリビア】
嘉吉の乱で滅んだ赤松家を救ったのは、旧臣たちが1457年に起こした長禄の変です。彼らは南朝の子孫が持ち去っていた三種の神器のひとつ、神璽を奪い返し、その功によって満祐の弟の孫にあたる赤松政則が家の再興を許されました。政則は応仁の乱で東軍に加わり、山名氏の手に渡っていた播磨を取り戻しています。白旗城は一度も落ちなかった城として、合格祈願にも名を借りられてきました。
