「日本三大杜氏」とは、日本酒造りの最高責任者である「杜氏(とうじ)」の集団の中でも、特に歴史が古く、高い技術と多くの杜氏を輩出してきた「南部杜氏(岩手県)」、「越後杜氏(新潟県)」、「丹波杜氏(兵庫県)」の3つを指します。彼らはそれぞれの風土に合わせた独自の醸造技術を確立し、日本酒の名声を高める上で多大な貢献をしてきました。
A.南部杜氏は岩手県花巻市、越後杜氏は新潟県、丹波杜氏は兵庫県丹波篠山市を中心とする杜氏集団です。直線距離では南部杜氏と越後杜氏が約310km、越後杜氏と丹波杜氏が約420km、南部杜氏と丹波杜氏が約730km離れています。
A.南部杜氏は香り高く味に幅のある酒、越後杜氏は「淡麗辛口」と称されるすっきりした酒、丹波杜氏は腰の強い辛口の酒を得意とします。丹波杜氏は硬水の「宮水」を乗りこなして灘の酒を醸し、その酒は「男酒」と呼ばれます。
A.3つとも冬の出稼ぎとして各地の酒蔵へ出向いたことから技が広まりました。南部杜氏は雪に閉ざされる冬の出稼ぎとして根づき、越後杜氏は江戸時代の後期に関東や尾張の蔵へ渡り、丹波杜氏は伊丹や池田、のちに灘五郷で酒造りを担いました。
A.慶長11年(1606年)ごろに藩の御用商人が上方の大量仕込みの技術を領内へ伝え、延宝6年(1678年)に近江商人の村井権兵衛が紫波の地で酒造りを始めて上方から蔵人を招いたことが源流と伝わります。大正3年(1914年)に南部杜氏組合として組織化されました。
A.作業の拍子をとり、時間を測るための実用の道具でした。時計のない時代、櫂を入れる回数や洗いの手順を唄の節で体に覚え込ませていたとされます。丹波篠山市の丹波杜氏酒造記念館では「秋洗い唄」や「酛摺り唄」などの酒造り唄が紹介されています。