山岡鉄舟

(やまおかてっしゅう)
📍 関東東京都 台東区🏯 歴史

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【概要】

山岡鉄舟は、天保7年(1836年)に江戸の本所で旗本小野高福の子として生まれ、のちに槍術の名家山岡家を継いだ幕臣です。慶応4年(1868年)に徳川慶喜の使者として駿府の西郷隆盛のもとへ乗り込み、江戸城の無血開城への道を開きました。明治政府では明治天皇の侍従を務め、剣と禅と書を極めた人物として知られます。東京都台東区にある全生庵は、鉄舟自身が開いた寺です。

【歴史】

山岡鉄舟は幼いころ、飛騨郡代となった父に従って飛騨高山で過ごし、剣術を学び始めました。江戸に戻ると槍術家の山岡静山に師事し、静山が若くして亡くなったのち、その妹の英子と結婚して山岡家を継ぎます。慶応4年(1868年)3月、義兄の高橋泥舟に推されて慶喜の使者となり、勝海舟の手紙を携えて駿府へ向かいました。西郷隆盛と向き合って降伏の条件を詰め、江戸での会談の下地を整えました。

【特徴】

山岡鉄舟は、剣・禅・書の三つの道を生涯かけて磨いた人物です。剣は北辰一刀流などを修め、長い修行の末に一刀正伝無刀流を開きました。禅は臨済宗の寺々で参禅を重ね、書でも数多くの作品を残しています。維新後は静岡県権大参事や茨城県参事、伊万里県権令を経て明治天皇の侍従となり、若い天皇の側近として仕えました。明治21年(1888年)に、病のため世を去っています。

【見どころ】

東京都台東区にある全生庵は、明治16年(1883年)に鉄舟が、明治維新の動乱で命を落とした人々を弔うために建てた臨済宗の寺です。親交のあった富山の国泰寺の越叟義格を開山に迎えました。谷中の三崎坂に面した境内には鉄舟の墓があり、寺には鉄舟の書も伝わっています。坐禅の道場としても知られ、鉄舟が重んじた禅の教えをいまに伝えています。東京メトロ千駄木駅から歩いて向かえます。

【トリビア】

全生庵には、鉄舟に禅を学んだ落語家の三遊亭円朝の墓もあります。円朝が集めた幽霊画は寺に伝わり、夏に公開されることで知られています。駿府へ向かう道中、鉄舟は官軍の陣中を「朝敵徳川慶喜家来山岡鉄太郎まかり通る」と名乗って堂々と通り抜けたという逸話が伝わります。勝海舟は鉄舟の胆力を高く買っており、鉄舟は江戸開城の陰の立役者として語り継がれています。

📅 最終更新: 2026/11/3
山岡鉄舟
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です