【概要】
高橋泥舟は、天保6年(1835年)に江戸で旗本山岡正業の次男として生まれ、母方の高橋家を継いだ幕臣で、名を政晃といいます。家に伝わる忍心流の槍術を極め、講武所の師範役を務めました。徳川慶喜の身辺を守る遊撃隊を率い、江戸を離れられない自分に代わって義弟の山岡鉄舟を西郷隆盛への使者に推しました。ゆかりの地は東京都台東区にある大雄寺です。
【歴史】
高橋泥舟の生家の山岡家は、忍心流槍術の名家として知られていました。兄の山岡静山に槍を学んで若くして頭角を現し、幕府が武芸の稽古のために設けた講武所で師範役となります。新徴組の取り扱いにも関わりました。慶応4年(1868年)に慶喜が上野の寛永寺で謹慎すると、遊撃隊を率いて警護に当たり、恭順の意を新政府に伝える使者として、義弟の鉄舟を推挙しました。
【特徴】
高橋泥舟は、槍の腕前では並ぶ者がないとたたえられながら、時勢に乗って立身することを望まなかった人物です。慶喜からの信頼は厚く、江戸開城の前後も主君のそばを離れずに身を守り抜きました。維新後は新政府に仕える道を選ばず、書をたしなみながら静かに暮らしたと伝わります。勝海舟や鉄舟が新政府でも重く用いられたのとは対照的な生き方で、明治36年(1903年)に世を去りました。
【見どころ】
東京都台東区にある大雄寺は、山号を長昌山という日蓮宗の寺で、慶長9年(1604年)に神田で開かれ、万治元年(1658年)にいまの谷中の地へ移りました。泥舟の墓は本堂の前にあり、大きなクスノキが寄り添うように枝を広げています。鉄舟が眠る全生庵とは歩いてすぐの距離で、谷中の寺町を巡りながら義兄弟の二人をあわせて訪ねられます。日暮里駅や千駄木駅から歩いて向かえます。
【トリビア】
高橋泥舟の妹の英子は山岡鉄舟の妻で、泥舟と鉄舟は義理の兄弟にあたります。泥舟が母方の高橋家を継いだため、生家の山岡家は、英子と結婚した鉄舟が継ぐことになりました。海舟・鉄舟・泥舟の三人は号にそろって「舟」の字を持つことから、のちに幕末の三舟と呼ばれるようになります。三人のうち最後に世を去り、明治の世の移り変わりを見届けたのが泥舟でした。
