【概要】
山県昌景は、武田信玄の側近から身を起こし、赤備えと呼ばれた精鋭部隊を率いて先鋒を務めた武将です。もとは飯富源四郎と名乗り、のちに名門の山県氏の名跡を継ぎました。駿河侵攻ののちは江尻城を任されたと伝えられ、1575年の長篠の戦いで討死しています。静岡県静岡市清水区にある江尻城の跡地はいまは市街地となり、巴川沿いの町並みに城下町の名残をとどめています。
【歴史】
山県昌景は飯富氏の出身で、兄とも叔父とも伝わる飯富虎昌は武田家の重臣でした。1565年に虎昌が信玄の嫡男である義信の謀反に連座して処罰されると、昌景は虎昌の率いた赤い具足の部隊を引き継いだとされます。あわせて信玄の命で途絶えていた山県氏の名跡を継ぎ、山県昌景を名乗りました。1572年の三方ヶ原の戦いでは、小山田信茂とともに先陣を務めたと伝えられます。
【特徴】
山県昌景の名を高めたのは、具足や旗指物を赤一色にそろえた赤備えの部隊でした。戦場で目立つ赤は精鋭であることの誇示でもあり、敵から強く恐れられたと伝えられます。武田氏の滅亡後、徳川家康は武田の旧臣を井伊直政に付けて赤備えを受け継がせ、井伊の赤備えとして知られるようになりました。大坂の陣で真田信繁が用いた赤備えも、この流れで語られることがあります。
【見どころ】
静岡県静岡市清水区にある江尻城の跡は、武田氏が駿河に進出したのちに、巴川の流れを外堀に利用して築かれた城の跡地です。いまは市街地に変わって目立った遺構はほとんど残っていませんが、巴川と東海道の江尻宿がすぐそばにあり、水運と街道が交わる要地だったことがうかがえます。JR清水駅から歩いて回れるので、川沿いの町並みとあわせて散策を楽しめます。
【トリビア】
江尻城は、山県昌景が長篠で討たれた1575年に、武田一族の穴山信君、のちの梅雪が城主となり、城下町が整えられたとされます。近くのJR清水駅は、明治時代の開業時には江尻駅という名でした。昌景は長篠の戦いでも武田軍の先鋒として徳川勢に攻めかかったと伝えられ、勇猛な赤備えの将としての姿は、後世の軍記や物語で繰り返し語られています。
