【概要】
馬場信春は、武田信虎・信玄・勝頼の三代に仕えた武田家の宿老で、美濃守を名乗り「鬼美濃」と恐れられた武将です。名は信房とも記されます。1575年の長篠の戦いでは勝頼に退却を進言したものの容れられず、敗走する味方の殿を務めて討死しました。愛知県新城市にある長篠の地には首塚と伝わる墓が残り、武田方の奮戦をしのぶ人がいまも訪れます。
【歴史】
馬場信春は甲斐の武川衆に属した教来石氏の出身で、はじめ教来石景政と名乗ったと伝えられます。武田信玄のもとで武功を重ね、途絶えていた甲斐の名族である馬場氏の名跡を継ぎました。信濃の攻略が進むと深志城の城代を務めたとも伝えられ、のちに美濃守を名乗っています。信虎・信玄・勝頼の三代にわたって武田家に仕え、家中の宿老として重きをなしました。
【特徴】
馬場信春は合戦での勇猛さに加え、城づくりにも通じた武将として知られます。信濃の山あいには馬場が築いたと伝わる牧之島城の跡があり、武田氏の城に特有の丸馬出の遺構が残っています。長く第一線で戦いながら深い傷を負ったことがなかったという話が伝わり、「不死身の鬼美濃」とも呼ばれますが、これは後世に広まった逸話として受け止めるのがよいでしょう。
【見どころ】
愛知県新城市にある馬場美濃守信房の墓は、長篠で討たれた信春の首を葬ったと伝わる首塚で、国道257号の長篠大橋の近くにあります。自然石の墓石のそばには、明治24年に建てられた殿戦忠死の碑が並びます。実際に討たれた場所は、豊川をさかのぼった新城市出沢の旧伊那街道沿いとされ、二か所を訪ねると、退く味方を守った最期の様子を思い描けます。
【トリビア】
長篠の戦いの前、馬場信春は織田・徳川の大軍との決戦を避けるよう勝頼に説いたと伝えられます。合戦では敗れた武田軍の殿を引き受け、勝頼が戦場を離れたのを見届けてから討たれたといわれます。名は信房とも信春とも書かれ、近年は信春とする見方が広まっています。墓の近くには、日本列島を貫く大断層を観察できる中央構造線長篠露頭もあり、あわせて訪ねる人もいます。
