【概要】
津田宗及は、堺の豪商である天王寺屋の当主で、安土桃山時代を代表する茶人です。父の津田宗達から家業と茶の湯を受け継ぎ、町の自治を担う会合衆の一人として重きをなしました。織田信長と豊臣秀吉の茶頭を務め、父子三代の茶会記『天王寺屋会記』を残しています。大阪府堺市にある南宗寺に墓があると伝えられ、境内には堺の茶人たちゆかりの史跡が集まっています。
【歴史】
津田宗及は、堺の大小路に店を構えた天王寺屋の津田宗達の子として生まれました。天王寺屋は海外交易や金融で富を築いた堺有数の商家で、宗及は会合衆の一員として町の運営にも加わります。織田信長が堺を支配下に置くと茶頭として召し出され、本能寺の変のあとは豊臣秀吉に仕えました。1591年に亡くなり、同じ年には千利休も世を去っています。
【特徴】
津田宗及の名を今に伝えるのは、天王寺屋の宗達・宗及・宗凡の三代が書き継いだ茶会記『天王寺屋会記』です。自分が開いた茶会だけでなく、招かれた茶会の客や道具、料理まで細かく書き留めており、戦国時代の茶の湯を知るうえで欠かせない史料とされます。会記には明智光秀ら名だたる武将との交わりも記され、茶の湯を通した人脈の広さがうかがえます。
【見どころ】
大阪府堺市にある南宗寺は、1557年に三好長慶が父の菩提を弔うため大林宗套を開山に迎えて建てた臨済宗の寺です。大坂夏の陣で焼けたのち、沢庵和尚らの尽力で現在の場所に再建されました。古田織部の作と伝わる枯山水の庭園は国の名勝で、境内には千利休一門の供養塔や武野紹鴎の墓も並び、堺の茶人たちの足跡をまとめてたどれます。
【トリビア】
津田宗及の父の宗達は、南宗寺を開いた大林宗套に深く帰依していました。天王寺屋と南宗寺との縁はこうして結ばれ、宗及も禅と茶をあわせて修めたと伝えられます。1587年の北野大茶湯では、千利休と今井宗久とともに秀吉の茶席を受け持ちました。宗及の子の江月宗玩は禅僧となって大徳寺の住持を務め、塔頭の龍光院の開山にもなっています。
