天下三宗匠は、戦国時代から安土桃山時代にかけて茶の湯の世界を率いた千利休・今井宗久・津田宗及の三人をまとめて呼ぶ名です。三人はいずれも自治都市として栄えた堺の商人で、織田信長、ついで豊臣秀吉の茶頭として仕えました。1587年に京都の北野天満宮で開かれた北野大茶湯でもそろって茶席を受け持ち、茶の湯が政治と深く結びついた時代を象徴する存在とされています。
A.千利休・今井宗久・津田宗及は、いずれも自治都市として栄えた堺の商人で、織田信長、ついで豊臣秀吉の茶頭として仕えました。1587年に京都の北野天満宮で開かれた北野大茶湯でもそろって茶席を受け持ち、茶の湯が政治と深く結びついた時代を象徴する存在とされています。
A.三人とも堺の茶人ですが、よく知られている面が異なります。千利休は簡素さと静けさを重んじるわび茶を大成しました。今井宗久は信長のもとで鉄砲や火薬の調達にかかわった実業家でもありました。津田宗及は豪商・天王寺屋の当主で、町の自治を担う会合衆の一人として重きをなしました。
A.千利休と今井宗久は、ともに武野紹鴎に茶を学びました。今井宗久は紹鴎の娘婿となり、紹鴎の名物茶器を受け継いでいます。津田宗及の墓があると伝えられる堺の南宗寺には武野紹鴎の墓もあり、宗久の曾孫の今井兼続は臨江寺で紹鴎の百年忌を営んだと伝えられます。
A.三か所とも大阪府堺市にあります。千利休ゆかりの地は千利休屋敷跡で、椿の井戸が残ります。今井宗久ゆかりの地は、曾孫の今井兼続が開いた臨江寺で、今井家の足跡を伝えています。津田宗及は南宗寺に墓があると伝えられ、臨江寺はその西隣に位置します。一帯は寺院が集まり、三宗匠ゆかりの地を歩いてめぐることができます。
A.今井宗久の茶会の記録は『今井宗久茶湯日記抜書』として伝わり、信長や秀吉の時代の茶会を知る手がかりになっています。津田宗及の天王寺屋では、宗達・宗及・宗凡の三代が茶会記『天王寺屋会記』を書き継ぎました。招かれた茶会の客や道具、料理まで書き留めており、戦国時代の茶の湯を知るうえで欠かせない史料とされます。