【概要】
天保の改革は、老中首座の水野忠邦が天保12年(1841年)から天保14年(1843年)にかけて進めた幕政改革です。天保の飢饉や大塩平八郎の乱、外国船の接近で内外の危機が深まるなか、厳しい倹約令や株仲間の解散で立て直しを図りましたが、上知令への反発で2年あまりで挫折しました。忠邦が藩主を務めた浜松城は、静岡県浜松市に城跡公園として残っています。
【歴史】
水野忠邦は唐津藩主の家に生まれ、幕府の要職を目指して文化14年(1817年)に自ら願い出て遠江国の浜松藩へ移りました。寺社奉行や大坂城代、京都所司代を経て、天保10年(1839年)に老中首座となります。大御所の徳川家斉が天保12年(1841年)に亡くなると本格的に改革に乗り出しましたが、天保14年(1843年)に老中を罷免され、改革は短い期間で終わりました。
【特徴】
天保の改革では、ぜいたく品や派手な衣服を厳しく取り締まり、芝居小屋を浅草の猿若町へ移して寄席の数も大きく減らしました。物価が上がるのは問屋の独占のせいだとして株仲間を解散させ、江戸に流れ込んだ農民を村へ帰らせる人返しの令も出しています。江戸と大坂の周辺の土地を幕府の直轄にしようとした上知令は、大名や旗本の強い反対にあい、忠邦の失脚の決め手となりました。
【見どころ】
静岡県浜松市にある浜松城は、徳川家康が築いて17年間を過ごした城で、浜松城公園として整備されています。天守曲輪には昭和33年(1958年)に再建された天守閣と、平成26年(2014年)に木造で復元された天守門が並び、自然の石を積んだ野面積みの石垣が戦国時代の面影を伝えています。水野忠邦をはじめ、歴代の城主から幕府の要職に就く人が多く出たため、浜松城は出世城とも呼ばれます。
【トリビア】
天保の改革では、人情本の為永春水や合巻の柳亭種彦が風俗を乱したとして処罰され、錦絵の題材も制限されました。北町奉行の遠山景元は、取り締まりが町人の暮らしを追い詰めるとして反対したと伝えられます。忠邦が罷免された日には、屋敷に町人が押し寄せて石を投げたといわれ、改革への不満の大きさを物語っています。その後、水野家は出羽国の山形へ移されました。
