【概要】
享保の改革は、紀州藩主から八代将軍となった徳川吉宗が、享保元年(1716年)から30年ほどにわたって進めた幕政の立て直しです。倹約と上げ米、新田開発で傾いた財政を支え、目安箱や公事方御定書で政治と裁判の仕組みも整えました。目安箱への投書から生まれた小石川養生所の跡は、東京都文京区にある小石川植物園の中に井戸として残っています。
【歴史】
徳川吉宗は紀州藩主から、享保元年(1716年)に七代将軍家継の死を受けて八代将軍に迎えられました。当時の幕府は、元禄期の出費や金銀の産出の減少で財政が苦しく、吉宗は自ら木綿の衣服と質素な食事を通して倹約の手本を示したと伝えられます。改革は延享2年(1745年)に将軍職を長男の家重に譲るころまで続き、のちの寛政・天保の改革の手本とされました。
【特徴】
財政面では、大名に石高1万石につき100石の米を納めさせる上げ米を行い、代わりに参勤交代で江戸にいる期間を半年に縮めました。年貢は豊作凶作にかかわらず一定にする定免法に改め、町人の資金も使って新田の開発を進めます。家禄の不足を在職中だけ補う足高の制で人材を登用し、米の値段の安定に心を砕いたことから、吉宗は米将軍とも呼ばれました。
【見どころ】
東京都文京区にある小石川植物園は、幕府の小石川御薬園の流れをくむ東京大学の附属植物園です。吉宗が享保6年(1721年)に設けた目安箱に、町医者の小川笙船が貧しい病人のための施設を願い出たことで、翌年この薬園の中に小石川養生所が開かれました。園内には養生所で使われた井戸が残り、青木昆陽がサツマイモを試作したことを記念する碑も立っています。
【トリビア】
享保の改革では、町奉行の大岡忠相のもとで町火消のいろは組が編成され、江戸の防火の仕組みが整いました。キリスト教に関係しない漢訳洋書の輸入制限をゆるめたことは、のちの蘭学の芽生えにつながります。吉宗は飛鳥山や隅田川の堤などに桜を植えさせ、庶民が花見を楽しめる行楽の地を開いたことでも知られ、いまの東京の桜の名所にもその名残がうかがえます。
