【概要】
寛政の改革は、天明7年(1787年)に老中首座となった白河藩主の松平定信が、寛政5年(1793年)まで進めた幕政改革です。天明の飢饉と打ちこわしで揺らいだ幕府を立て直すため、米の備蓄や江戸の救済の仕組みを整え、厳しい倹約と学問・出版の統制を行いました。福島県白河市にある南湖公園は、定信が老中を退いたのちに、身分を問わず楽しめる場として築いた庭園です。
【歴史】
松平定信は八代将軍吉宗の孫にあたり、御三卿の田安家に生まれて白河藩松平家の養子となりました。白河藩主として天明の飢饉に立ち向かった手腕を買われ、田沼意次が退いたあとの天明7年(1787年)に老中首座に就きます。しかし朝廷との尊号一件や将軍家斉との関係の悪化もあって、寛政5年(1793年)に老中を退き、改革は6年ほどで幕を閉じました。
【特徴】
寛政の改革では、飢饉に備えて大名に米を蓄えさせる囲米を命じ、江戸では町の費用を節約したぶんの七割を積み立てる七分積金で救済の備えを作りました。旗本や御家人の借金を帳消しにする棄捐令を出し、石川島に人足寄場を設けて無宿人に仕事を身につけさせています。湯島の聖堂の学問所で朱子学以外の講義を禁じた寛政異学の禁も、この改革の大きな柱でした。
【見どころ】
福島県白河市にある南湖公園は、松平定信が享和元年(1801年)に沼地を整えて築いた庭園で、身分の区別なく誰もが景色を楽しめるようにという士民共楽の考えで開かれました。日本で最も古い公園ともいわれ、工事は困窮した人々に仕事を与える役目も担ったとされます。湖のほとりには定信をまつる南湖神社や茶室があり、松や桜、紅葉が水面に映る景色を四季を通じて楽しめます。
【トリビア】
改革の厳しさは、白河の清きに魚も住みかねてもとの濁りの田沼恋しき、という狂歌で風刺されました。出版の統制では、海防を説いた林子平や洒落本を書いた山東京伝が処罰されています。南湖の名は、白河の城の南にあることと、唐の詩人李白の詩句にちなむという説があります。大正13年(1924年)には国の史跡と名勝に指定され、名物の南湖だんごを味わいながら湖畔を歩く人も多くいます。
