【概要】
田安徳川家は、8代将軍徳川吉宗の次男の宗武を祖とする御三卿の一つで、江戸城北の丸の田安門内に屋敷を与えられたことから田安家と呼ばれました。宗武は国学と和歌に打ち込んだ教養人で、その子からは寛政の改革を率いた松平定信が出ています。明治維新の際には田安家出身の亀之助が徳川宗家を継ぎ、のちの徳川家達となりました。
【歴史】
田安徳川家の祖となる徳川宗武は、享保年間に江戸城北の丸の田安門内に屋敷を与えられ、1731年(享保16年)ごろから田安家と呼ばれるようになったとされます。領地は諸国に分かれた賄料の形で与えられ、城を構える藩ではありませんでした。幕末の1868年には、田安家出身の亀之助が徳川慶喜の跡を受けて徳川宗家を継ぎ、のちに貴族院議長を長く務める徳川家達となりました。
【特徴】
田安家の初代宗武は、荷田在満や賀茂真淵を召し抱えて国学を学び、万葉調の歌人としても知られました。学問を重んじる気風は子にも受け継がれ、その子の定信は白河藩の松平家へ養子に出て老中となり、寛政の改革を主導しています。定信はのちに田安家へ戻ることを願い出たものの許されなかったと伝えられ、御三卿の家の存続が幕府の意向に左右されたことがうかがえます。
【見どころ】
田安家の屋敷があった北の丸は、東京都千代田区にある北の丸公園として開放されています。九段坂の上に残る田安門は、高麗門と渡櫓門を直角に組み合わせた枡形門で、扉の金具に1636年(寛永13年)の刻銘が残る古い建物として国の重要文化財に指定されています。春には牛ヶ淵や千鳥ヶ淵の桜が門のまわりを彩り、花見の名所として多くの人でにぎわいます。
【トリビア】
田安門の名は、門の付近にあった田安明神(現在の築土神社)に由来するという説が知られ、田安家の家名は明神から門へ、門から家へと受け継がれたことになります。幕末に越前福井藩主として活躍した松平春嶽も田安家の生まれで、御三卿が将軍の跡継ぎを用意するだけでなく、諸大名へ養子を送り出す家でもあったことを物語っています。
