清水徳川家

(しみずとくがわけ)
📍 関東東京都 千代田区🏯 歴史

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【概要】

清水徳川家は、9代将軍徳川家重の次男の重好を祖とする御三卿の一つで、1759年(宝暦9年)に江戸城北の丸の清水門内に屋敷を与えられたことに始まります。当主のいない時期をたびたび挟みながら家名を保ち、幕末にはパリ万国博覧会に将軍の名代として渡った徳川昭武が当主を務めました。屋敷の跡は北の丸公園となり、重要文化財の清水門が当時の姿を伝えています。

【歴史】

清水徳川家は、1759年(宝暦9年)に徳川重好が江戸城北の丸の清水門内に屋敷を与えられ、門の名をとって清水家と呼ばれたのが始まりです。御三卿のなかでは最も遅く成立し、祖が吉宗の子ではなく孫にあたる点で田安・一橋の二家と異なります。重好に跡継ぎがなかったため、その後は将軍家から養子を迎えたり、当主不在の明屋形となったりしながら家名が保たれました。

【特徴】

清水家の当主には将軍家や御三家から入った人物が多く、家そのものが将軍家の一族を預かる受け皿の役割を果たしていました。幕末の1866年(慶応2年)には、水戸藩主徳川斉昭の子で慶喜の弟にあたる昭武が当主となり、翌年のパリ万国博覧会に将軍の名代として派遣されています。明治に入ると昭武は水戸徳川家を継ぎ、清水家はその甥の篤守が引き継ぎました。

【見どころ】

清水家の屋敷があった一帯は、東京都千代田区にある北の丸公園の東寄りにあたり、いまは緑の多い公園として散策できます。公園の東口にあたる清水門は、明暦の大火で焼けたのち1658年(万治元年)に再建された高麗門と渡櫓門の枡形門で、国の重要文化財です。門をくぐると段差の大きな石段と高い石垣に囲まれた枡形が現れ、城門の守りの固さを肌で感じられます。

【トリビア】

清水家を継いだ篤守の子の徳川好敏は陸軍の軍人となり、1910年(明治43年)に代々木練兵場で日本初の動力飛行に成功して、日本の航空の草分けと呼ばれました。清水門の名は、門の近くに清水が湧いていたことにちなむとも伝えられます。門の外に広がる清水濠に沿って歩くと、水面に石垣が映り込み、江戸城の堀らしい落ち着いた景色を楽しめます。

📅 最終更新: 2026/10/25
清水徳川家
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です