滝川一益

(たきがわかずます)
📍 近畿三重県 桑名市🏯 歴史

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【概要】

滝川一益は近江の甲賀の出身とされ、鉄砲の扱いに長けた武将として信長に重く用いられました。1574年の長島一向一揆の平定後に長島城を与えられ、北伊勢を治めます。1582年の甲州征伐で功を上げて上野国などを与えられ、関東の取りまとめを任されましたが、本能寺の変の直後に北条氏に敗れて伊勢へ戻りました。のちに羽柴秀吉と争って降り、1586年に世を去っています。

【歴史】

滝川一益は1525年に生まれ、近江国甲賀郡の出身とする説がよく知られています。信長に仕えて伊勢の攻略に力を尽くし、1574年に長島の一向一揆が平定されると長島城主となりました。1582年の甲州征伐では武田勝頼を追い詰める働きを見せ、上野国と信濃の一部を与えられて厩橋城に入ります。しかし本能寺の変の直後、神流川の戦いで北条氏に敗れ、本拠の長島へ退きました。

【特徴】

滝川一益は若いころから鉄砲を学んだ名手として知られ、伊勢や志摩の水軍とも関わりの深い武将でした。1578年には九鬼嘉隆の鉄甲船とともに大船を仕立てて大坂湾に向かったとされます。「進むも滝川、退くも滝川」と、攻めにも退きにも巧みな用兵をたたえられたと伝わります。一方で、本能寺の変ののち関東から戻るのが遅れて清洲会議に加われず、織田家中での立場を大きく失いました。

【見どころ】

滝川一益が城主を務めた長島城の跡は、三重県桑名市にあります。長島地区の中心部、いまの長島中部小学校と長島中学校の一帯がその場所です。木曽三川に囲まれた輪中の地で、かつて一向一揆が拠った長島の城館群のひとつでした。城の建物は残っていませんが、大手門は町内の蓮生寺に移されて山門になったと伝わります。川沿いの堤防に上ると、大河に囲まれた長島の地形がよくわかります。

【トリビア】

甲州征伐の恩賞で上野国を与えられた滝川一益は、本当は名物の茶入「珠光小茄子」を望んでいたため、遠い関東への赴任を嘆いたという逸話が残ります。関東では厩橋、いまの前橋を拠点に北条氏ににらみを利かせました。賤ヶ岳の戦いでは柴田勝家に味方して伊勢で兵を挙げ、羽柴秀吉の大軍を相手に長く持ちこたえましたが、勝家の滅亡後に降伏しています。

📅 最終更新: 2026/11/6
滝川一益
※画像はAIによって生成されたイメージ画像です