【概要】
柴田勝家は織田家の宿老として信長を支え、勇猛さから「鬼柴田」「かかれ柴田」と呼ばれた武将です。1575年に越前の大半を任されて北ノ庄城を築き、北陸方面の攻略を指揮しました。本能寺の変ののち、清洲会議を経て信長の妹お市の方を妻に迎えましたが、1583年の賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れ、北ノ庄城でお市の方とともに自害しました。
【歴史】
柴田勝家は尾張の出身で、はじめ信長の弟の信勝に仕え、のちに信長の家臣となりました。1575年に越前の一向一揆が平定されると越前八郡を与えられ、足羽川のほとりに北ノ庄城を築いて北陸方面の攻略を指揮します。1582年の本能寺の変ののちは清洲会議に臨み、信長の妹お市の方を妻に迎えました。翌1583年、賤ヶ岳の戦いで羽柴秀吉に敗れて北ノ庄城へ退き、お市の方とともに自害しています。
【特徴】
柴田勝家は戦場で先頭に立つ猛将として知られ、「かかれ柴田」とうたわれたと伝わります。近江の長光寺城に籠もって水を断たれた際、城内に残った水がめを割って背水の覚悟を示し、打って出て勝ったという逸話から「瓶割り柴田」の異名も残りました。領国の経営にも力を注ぎ、越前では農民から武器を集める刀さらえを行っており、これは豊臣秀吉の刀狩りの先駆けとされています。
【見どころ】
北ノ庄城の本丸があったとされる場所には、福井県福井市にある柴田神社が建ち、勝家とお市の方がまつられています。境内一帯は柴田公園として整えられ、発掘調査で見つかった石垣の一部を見ることができます。併設の北の庄城址資料館では、出土した鬼瓦などを展示しています。福井駅から歩いて5分ほどの街なかにあり、資料館の開館時間などは変わることがあるので、訪れる前に確かめておくと安心です。
【トリビア】
北ノ庄城を訪れた宣教師ルイス・フロイスは、九層ともいわれる天守の壮大さを書き残しました。城下の足羽川には、勝家が半分を木、半分を石で架けたと伝わる九十九橋があり、その石柱が資料館に伝わっています。北ノ庄の地名は江戸時代に福居と改められ、のちに福井となりました。城の遺構の多くは、結城秀康による福井城の造営で姿を変えたことが発掘から確かめられています。
